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旧日光道中 その

小山-新田-小金井-石橋-雀宮-宇都宮
  
旧日光道中・旧奥州道中を歩く トップページ (目次)
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区間 宿場間
計算距離
GPS測定値 歩数計 備考
小山-新田 5.79 km 5.76 km 8,043 小山のGPS測定値、歩数は、駅入口交差点から
新田-小金井 3.07 3.46 4,581 小金井のGPS測定値、歩数は、本陣跡まで
小金井-石橋 6.31   6.96   9,120  
石橋-雀宮 6.71   7.25   9,956    
 雀宮-宇都宮 7.95   9.10   12,742  
合計 29.83 km 32.53 km 44,442
日本橋からの累計 111.31 km 120.99 km 169,282
日光道・奥州道の累計 111.31 km 120.99 km 169,282 GPS測定値と歩数に、寄り道、道の間違いロス分を含む
 
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2013年12月
    
 
 


小山から、新田、小金井、石橋、雀宮を経て宇都宮まで
 
       
  
   
   
 
        
   
雑木林
 小学生のころ、仙台と東京の間をひとりで何度か往復したことがある。仙台9時発の急行「青葉」は、蒸気機関車に引かれて疾走したが、上野まで8時間もかかっていた。福島県を過ぎて、黒磯、西那須野辺りまでくると「関東」の雰囲気が濃くなってくる。そして、宇都宮で、機関車の交換のために長く停車したあと、走り始めると、上野はもうすぐ、という期待感が急速に高まってくる。そんなときに、車窓から見た風景が、今も強く目に焼き付いている。雑木林である。畑と、林が、繰り返し車窓を飛んでゆく。ときには、平屋建ての白い、何かの工場らしい建物も過ぎてゆくが、主役は雑木林である。仙台平野では見ることのない風景で、これが関東平野なのだ、と強く印象に残った。

 その後、東京の小平や調布の深大寺周辺などで、武蔵野の雑木林を見て、宇都宮で見た景色はこれだ、と思った。クヌギやコナラなどの林である。今回、旧日光道中で家並みが途切れることがほとんどなかった埼玉県を歩き終えて、栗橋で利根川を渡ったとたん、雑木林が目につくようになった。さらに、2時間半で茨城県を過ぎて栃木県入りすると、気づくことが二つあった。ひとつは、ケヤキなどの高木が多いことである。カメラに入れるのが難しいほどの大きさである。神社や、民家の庭にそびえ立っていて、樹齢400年とか800年との表示もあった。もうひとつは、あの懐かしい雑木林が次々に登場することである。常緑樹や赤松と混じっている林も多く、下草が茂ったままの林もあるが、中には下の写真のように、落葉樹だけの、まるで寄せ植え盆栽のような見事な林もある。

 なお、念のため調べると、栃木県の「県の木」は文字通り、トチノキだそうだ。


         

 旧日光道中は、ほとんどが家並みの中を進むし、旧道が国道4号線と一致していて、トラックの列に圧倒されるところが多いが、ときには下の写真のように、静かな雑木林沿いを通ることもある。実に快適である。
 

 かねてからの疑問を思い出した。東北本線の車窓から見た雑木林も、「武蔵野」の一部なのだろうか。調べてみると、「武蔵野」とは、北は埼玉県の川越や荒川以南、南は多摩川まで、東は隅田川まで、西は大岳・秩父根までという。そして、そのイメージは、屋敷林と畑地そして雑木林がセットとなっている情景とされているようだ。地理的にいえば、栃木県など問題外、ということのようである。武蔵野の雑木林は、もともと、照葉樹林に覆われていたところが、焼畑農業で焼かれ、その跡地が草原や落葉広葉樹の二次林となったものらしい。武蔵野の場合、平安期ごろまでに形作られたという。おそらく、下野の国の、この辺りもそうだったのではないだろうか。

 雑木林が輝くのはこの季節である。落ち葉の季節、冬枯れの季節こそ、心に沁みる。


 
   小山から、小金井ヘ  
   
   
 
   
   
 
 
 
 
                          大谷石づくりの塀や門柱、蔵がどんどん増えてくる 
 
 
 
 
                                        日枝神社のケヤキ
 
 
 
 
 
                         喜沢東交差点から入り、東北本線線路に近い旧道沿いの雑木林
 
 
 
 
 
                           小金井の一里塚 
 
  
 
 
 
 
  石橋へ   
    
 
                         左が日光・男体山 右、大真名子山 女峰山など 
 
 
    
                                                        男体山 
  
   
 
 
 
 
 
 
 
                              
       
    
  
  
  
          
  
   
   
   
   
   
  
   
           
   
                  
                                 
           
 
                                                    
  雀宮から宇都宮へ    
   
   
 
      
     
   
   
                          
 
                                                
   
 
                       
    
 
  
   
 
    
    
 
                                                           
    
  
                                    
    
   
                                                
 
    
  
  
    
   
宇都宮へ 
 
       
えっ、東京街道?
 旧日光道中が、国道4号線と重なって宇都宮の町に近づき、旧道から国道4号線が東に逃げてゆくあたりで、こんな標識を見た。「東京街道」とある。初めて聞く名である。


 しかし、意味は分かる。東京に向かう街道である、といっているのだ。旧北国街道・旧北陸道歩きのページに書いたことがある。善光寺方面から行った高田に街道の分岐点がある。そこからの三方向、どちらに行っても、みな北国街道だったそうだ。 善光寺方面に向かう道も、柏崎方面へ向かう道、そして、加賀や越前に向かう道のいずれもである。これでは混乱する。 そこで、善光寺、信濃追分方面へ行く道を善光寺街道、柏崎や出羽方面への道を奥州街道、そして越中や加賀方面への道を加賀街道と呼んで区別したという。要は、どこへ行く道かという、単純な呼び方であり、通称なのである。それにしても、「東京街道」が堂々と表示されていて、いささか驚いた。地元では慣れ親しんだ呼び方なのだろうか。
 
 この「東京街道」は、調べてみると、日光道中が、白河方面へ向かう奥州道中と分岐する宇都宮本陣近くにある池上町交差点から、ほぼ旧日光道中沿いにある国道119号線で南下して、西原交差点で国道4号線と合流して、道なりに行けば東京に着く道、というわけである。宇都宮大空襲のあと、戦後にできた道だったので「江戸街道」ではなかったらしい。ちなみに、「江戸街道」と通称で呼ばれる街道も水戸などにあるとのこと。なお、京都と大阪をを結ぶ街道は、どちらに向かうかによって「京街道」、「大坂街道」と呼び分けられたようだ。

 旧街道の道標を設置してくれる方が、旧街道歩きの旅人にとってはありがたいのだが・・。
   
   
   
 
                                   JR日光線
  
 
                                               報恩寺 
  
 
 
   
宇都宮に到着
 
   
 
                           この宇都宮宿本陣跡が今回の終点   

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