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旧日光道中 その

栗橋-中田-古河-野木-間々田-小山
  
旧日光道中・旧奥州道中を歩く トップページ (目次)
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区間 宿場間
計算距離
GPS測定値 歩数計 備考
栗橋-中田 0.98 km 0.99 km 1,411
中田-古河 6.04 6.30 8,570
古河-野木 2.59   3.09   4,409  
野木-間々田 7.83   8.21   11,387    
 間々田-小山 6.05   6.30   8,824   小山の測定値、歩数は、駅入口交差点まで
合計 23.49 km 24.89 km 34,601
日本橋からの累計 81.48 km 88.46 km 124,840
日光道・奥州道の累計 81.49 km 88.46 km 124,840 GPS測定値と歩数に、寄り道、道の間違いロス分を含む
 
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2013年12月
    
 
 


栗橋から中田、古河、野木、間々田を経て小山まで
利根川を渡って茨城県に入る  
   
   
  
   
 寒い朝、あらためて栗橋を出発して、利根川を渡った。 右の山は日光・男体山 左遠くの雪山は白根山
利根川の左岸(写真右)に旧中田宿本陣は埋まっている 
   
 関宿に寄り道 
 
今回の二日目の午前、予定外の荒天のため、変更して千葉県野田市にある千葉県立関宿城博物館に寄り道した。
前回、書いたように、利根川をはじめとする河川を利用した水運網と、利根川の東遷など、江戸時代からの河川工事を知り、
そして、今、銚子に向かう利根川が、この関宿で東京に向かう江戸川を分流するところを見るためである
 
 
栗橋の、利根川堤防や国道の橋からはJR東北線の鉄橋が邪魔で見えなかった、利根川・渡良瀬川合流地点。
左からの利根川と上方からの渡良瀬川がここで合流している----関宿から小山に戻る途中、東北線の車窓から
 
    
 
栗橋の利根川橋から、利根川を少し下ると、江戸川との分流点、関宿に出る  
関宿の千葉県立関宿博物館裏からの写真であるが、木立の間にある江戸川も、右にある利根川も草の陰で、見えていない
    
 
強い雨の中、関宿の博物館の展望台から、霞んでいるが、かろうじて見えた利根川・江戸川分流点
画面上方から流れてきた利根川が、画面左方向に江戸川を分けて、画面右方向に流れる 
   
 
旧日光道中は、ふつうの道だった
 これまで歩いてきた、旧東海道、旧中山道、旧北国街道・旧北陸道にはその途中に、国が指定する「重要伝統的建造物群保存地区」が、ひとつやふたつあって、これぞ、街道の風景の典型であると思って楽しんできた。埼玉県には、川越市の蔵造の町並みが指定されているし、栃木県では日光例幣使街道にある栃木市にその町並みがある。しかし、両県ともそれだけであり、旧日光道中にも、旧奥州道中にも、指定された家並みがないのである。戦災や宅地開発、道路建設など、いろいろ理由はあるのかもしれないが、残っていないのは残念である。伝統的な建物を見ることが街道歩きの最大の楽しみであるからだ。もちろん、出梁づくりの商家や、蔵造りは、ごくわずかだが、ポツポツと残ってはいるが。

 これまで、旧東海道や旧中山道を歩いていて、感動したことがいくつもある。伝統的な町並み保存地区では規制と補助金制度があって、家の新築や改築にあたって、古い様式を保存したり復元することが奨励されていて、これが景観の維持に役立っている。しかし、そのような保存地区ではないのに、旧街道沿いで、新築の家でも旧来の伝統的な姿を再現しているところが、とても多いことに気づいたときには驚いた。さらに、街道沿いの庭はどこでも、とても立派で、手入れも実に見事なのである。堤防の上など、高いところ見下ろすと、屋根の立派さや木立から、旧街道の位置が一目でわかるほどである。旧街道沿いに住むことは、豊かさの証明であり、ステータスであるらしいのである。だから、伝統的な素材を使った家が旧街道沿いに多く、特に、北陸三県の旧北陸道沿いでは、新建材の民家は、よく探さないと見つからないほどであった。まさに、「目からうろこ」である。旧街道沿いの人たちには、旧街道に住むことに誇りをもっているのである。

 今回、旧日光道中を歩いていて、気になったことがある。沿道にすむ人たちでも、ここが天下の日光街道であることを知らない人が少なくなさそうなのである。国道4号線の標識には、「日光街道」と書いてあるが、観光に熱心な草加市や古河市以外には、旧道に表示もなく、道標もない。旧街道の遺構もわずかしか残っていないからか、行政にも、町の人にも関心がないのかもしれない。旧街道歩きで宿場の中心地として目標とする、宿の本陣跡についも、何の表示もないところが多く、あるはずの位置で、地元の方に聞いても、「本陣って何ですか?」と聞かれてしまったり、「場所がわかっているのに、役場の人が表示してくれないので、よく聞かれます。本陣跡は2軒先のあのお宅のところです」と場所を教えてもらったり、である。

 だから、この旧日光街道沿いには、誇りもなければ、気取りもないようである。しかし、気取りのない、ごく当たり前の道だからこその、懐かしい風景が残っている。あと10年早ければ、もっとたくさんあったはず、と思うのであるが。たとえば、大きな農家、あるいは元農家と思われる家々が旧道沿いに並ぶが、その母屋は住宅展示場から移築したような現代風の建物に建て替えたばかり、というところが多い。かろうじて納屋は昔のままで、大きな軒下に農機具とならんで乗用車が入っている、という光景も目につく。でも、まだわずかだが昔の姿も残っている。これが心に沁みる風景である。宇都宮に近づくにつれて増える、大谷石の蔵がよい。素朴で温かみのある造りである。そして、もちろん、雑木林や、見え隠れする日光連山のある風景もそのひとつである。雑木林も、ごくふつうの、この道も、雪がくる前の、冬枯れが美しいこの季節がいちばん似合っているのかもしれない。

 今市から鉢石に向けて、日光が近づくと、また印象ががらりと変わるのかもしれない。楽しみである。


 
 
中田宿
 
                            うっすらと霜の降りた原っぱの向こうに雑木林が輝いている
 
 
                  
 
 
  古河宿  
 
 
                               古河宿に入る
       
    
        
  
   
   
   
                                煙出しのある納屋
   
           
                       古河宿本陣跡  掃除をするおあばさんの前に碑が立っている
                   
                                 
 
                                                   
     
 
     
    
   
   
                          
 
                                                
   
 
                       
    
 
  
   
 
  
   
 
                                                       
 野木宿
   
  
                                           小さな弁財天
   
 
                                               
 
    
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                        雪国のような二重屋根  左には「八百円也」の石碑 
 
 
間々田宿へ 
 
 
                                  心を揺さぶられる美しい風景である          
 
 
 
                              「乙女」は、思川にある重要な河岸であった
 
 
 
 
 
 
小山に到着
 
 
   この小山宿で今日の一日が終わる   

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