開始日時 | 2013/12/10 13:06:41 | 終了日時 | 2013/12/10 15:22:38 |
水平距離 | 8.44km | 沿面距離 | 8.45km |
経過時間 | 2時間15分57秒 | 移動時間 | 1時間58分42秒 |
全体平均速度 | 3.73km/h | 移動平均速度 | 4.21km/h |
最高速度 | 8.19km/h | 昇降量合計 | 22m |
総上昇量 | 19m | 総下降量 | 3m |
最高高度 | 52m | 最低高度 | 36m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 13:06:41 | 0.00km | 37m | ||
00:00:38 | 0.02km | 2.0km/h | ↑0m ↓0m | 0.00% | |
小山から再スタート | 13:07:05 | 0.02km | 62m | ||
00:41:23 | 3.03km | 4.3km/h | ↑7m ↓1m | 0.20% | |
壬生道への追分・出征馬碑 | 13:56:41 | 3.05km | 43m | ||
00:38:39 | 2.81km | 4.3km/h | ↑6m ↓2m | 0.14% | |
新田宿・本陣跡か | 14:41:08 | 5.86km | 47m | ||
00:30:10 | 2.21km | 4.3km/h | ↑5m ↓0m | 0.23% | |
小金井駅近く。本日の終点 | 15:12:54 | 8.07km | 52m | ||
00:07:52 | 0.38km | 2.9km/h | ↑0m ↓0m | 0.00% | |
GOAL | 15:22:38 | 8.45km | 52m |
開始日時 | 2013/12/11 07:12:27 | 終了日時 | 2013/12/11 14:42:12 |
水平距離 | 28.00km | 沿面距離 | 28.00km |
経過時間 | 7時間29分45秒 | 移動時間 | 6時間18分48秒 |
全体平均速度 | 3.74km/h | 移動平均速度 | 4.34km/h |
最高速度 | 37.29km/h | 昇降量合計 | 95m |
総上昇量 | 79m | 総下降量 | 16m |
最高高度 | 127m | 最低高度 | 51m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 07:12:27 | 0.00km | 52m | ||
00:18:51 | 1.31km | 3.9km/h | ↑1m ↓0m | 0.08% | |
小金井宿本陣跡か | 07:40:17 | 1.31km | 53m | ||
01:35:39 | 7.08km | 4.3km/h | ↑15m ↓1m | 0.20% | |
石橋宿脇本陣は写真館 | 09:36:17 | 8.39km | 68m | ||
01:36:02 | 7.28km | 4.5km/h | ↑23m ↓1m | 0.30% | |
雀宮宿本陣跡 | 11:18:54 | 15.67km | 90m | ||
02:02:14 | 9.21km | 4.4km/h | ↑37m ↓1m | 0.39% | |
宇都宮宿本陣跡 | 13:44:21 | 24.88km | 126m | ||
00:46:02 | 3.12km | 3.9km/h | ↑1m ↓13m | -0.38% | |
GOAL | 14:42:12 | 28.00km | 114m |
2013/12/10 13:07:05
朝から歩くつもりだったが、雨風が強く、予定を変えて、午前中は電車でもどって、関宿の博物館を見に行った。天気の回復で急ぎ小山に戻って、スターした。この先の交差点がスタート地点である
2013/12/10 13:50:05
1590年に滅んだ祇園城の砦の跡に移された日枝神社の参道に植えられたケヤキの一本樹齢400年以上
2013/12/10 13:56:41
かつて、ここの道の両側、左にサイカチの古木、左に榎の大木があったという。ここに、馬頭観音と「日清・日露・日支出征馬碑」がある。裏に、戦いに出た馬名、馬主名などが刻まれている
2013/12/10 14:09:12
追分から、細い旧道に入ると美しい雑木林に出会う。懐かしい光景である。この先、青の予定ルートではなく、赤ラインの軌跡ルートが正しい
2013/12/10 14:18:14
2013/12/10 14:41:08
表示がなく、確認できず
2013/12/10 14:50:21
旧道の位置が不明確で国道の直進を予定したが、旧道がわかったため、そちらを歩いた。この先の左折部分は、旧道消滅のために迂回したもの
2013/12/10 15:12:54
4号線の裏の旧道は、住宅展示場から出てきたような家々が並ぶ住宅地である
2013/12/11 07:26:47
日光街道には珍しく残る一里塚である。もともとの榎の何代目かと、クヌギが並んでいる。美しい塚である
2013/12/11 07:40:17
調べた結果らはこの辺だが、何の説明も、標識もない
2013/12/11 07:52:34
真ん中に男体山、その右が大真名子山、女峰山だろうか。左遠くに白根山の雪山が見える
2013/12/11 08:04:35
2013/12/11 08:33:51
こんな道が続くとうれしくなる
2013/12/11 09:36:17
近くのお店のおばさんに聞いたところこの写真館が、旧脇本陣とのこと。何の表示もない。「役所の文化関係の人が立札でも立ててくれればいいのに」といっていた。その通り!
2013/12/11 10:01:20
蔵はほとんどずべて大谷石を使っている。さすが宇都宮、大谷石の山地である
2013/12/11 10:23:35
栃木県歴史の路調査報告書第1集41ページのNo.48~51の備考欄の記載を参考に、旧道を探した。この900メートル先で国道を直進する予定ラインと合流するまで、当たらずとも遠からず、か。
2013/12/11 10:54:52
ここも、栃木県教育委員会調査資料を参考に、旧道ルートに近いと思われる道を探して歩いた。地形図に書き込んだ予定ルートとはずれがあるが、赤ラインの軌跡の方が近いと思われる
2013/12/11 11:18:54
この標識のみ。何の説明もない
2013/12/11 12:13:12
「日光街道」のはずが、「東京街道」とある
2013/12/11 12:42:46
ここをまっすぐ乗って行けば、日光である
2013/12/11 13:02:24
樹齢800年という。
でも、恵まれた環境にはない。
気の毒な樹である
2013/12/11 13:15:51
戊辰戦争で、宇都宮城は激しい戦いの場となった。会津で刑死した長岡藩士、山本帯刀の願いにより、旧幕府側戦死者のために建てた碑がある
2013/12/11 13:44:21
道路の反対側に見える道が、この先の日光道であり、右方向が、旧奥州道中で、ここで分岐している。今回の終点である