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ゆっくり・きょろきょろ東海道を歩く
その9

岡部宿-藤枝宿-島田宿
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区間 五十三次距離表 カシミール 歩数計 備考
岡部宿-藤枝宿 6.8 km 5.2 km 8,382 藤枝宿:長楽寺前
藤枝宿-島田宿 8.7 10.0 12,829 島田宿:島田本町2丁目交叉点
合計 15.5 km 15.2 km 21,211
日本橋からの累計 204.3 km 211.6 km 323,128
2006年9月

川止め
 天気予報は、雨を予想していた。 しかし、窓を開けると降っていなかった。 予定通り藤枝、島田に向けて出発した。
旧東海道歩きもここまで来ると、交通機関へのアクセスが気になる。 帰りには、新幹線を使う距離になってきて、どこで旅を終えるかの調整が必要になるからだ。 岡部の場合は、もしもここを終点にすると、東海道線から離れているので、バスを使って焼津に出ることになる。

 岡部から藤枝、島田へは平坦な道を淡々と歩く。 大井川が近づいて、当時なら川を渡れるかどうか、川止めならどこに宿を取るかが問題だったという。 弥次さん、喜多さんも川止めにあって、島田宿はもちろん隣りの藤枝宿もいっぱいのため、大井川から三つ手前の岡部宿に滞留したようである。 その川止めが解除されると、みないっせいに動き始めるため、街道が大いに賑わったらしい。 なんとなく想像できるではないか。
 朝比奈川
 藤枝の宿までに通る、横内、鬼島などはどこも美しい田園が印象的であった。 ちょうど刈入れ時期のみごとな黄金の田と、彼岸花が鮮やかであったが、ときどき渡る川の美しさには感動した。 澄んだ川の水と、川から遠くの山まで続く澄んだ空気が清冽な印象を与えてくれた。 特に、葉梨川、瀬戸川がよかった。 瀬戸川にも、当時は川越人足がいたようで、行書版の広重の藤枝にはその様子が描かれている。
  
鬼島の土手で


かかしも見える
 葉梨川        
 「渡御橋」からの葉梨川
この広重の保永堂版の藤枝宿は、問屋場における人馬の継立て(交替)の様子である。 今回歩いた藤枝の商店街のアーケードに並べて掛けられていたシートを写したものである。 なお、隷書版五十三次の、松並木で夕立ちに会った旅人を描いたの藤枝も面白い。
 瀬戸川


島田が近い。 
1号線のキロポストには207.6kmとある
島田の街並みに入ると急に雨脚が強まった。 治水が進んだこの時代だから、この程度の雨では水かさはいくらも増えていないだろうが、むかしはどうだったのだろうか。 
島田駅に近い金融機関のショーウインドーに川越えを描いた浮世絵のポスターがあった。


川止めに会ったことにして、今回はこの島田で一旦旅を終えることにする。宿
 次回は、いよいよ大井川を越える。 そして、金谷宿を経て、西行法師の 「 年たけて又越ゆべしと思いきやいのちなりけりさやの中山 」 の小夜の中山峠である。 亡き恩師が語る、あの「命なりけり」の場所を訪ねるのである。 箱根峠、鈴鹿峠とともに、東海道の三大難所といわれた峠道でもある。

 公称距離で日本橋から200kmを越えた。 感想は、
     ● ここまで来てしまった。 やればできるのだ
     ● まだ半分にも達していない。 先を思うとぞっとする
     ● なんという馬鹿なことを始めてしまったのだ。 わざわざ痛い足を引きずって歩くなんて
でも、すばらしい。 うれしい。
「美しい日本」 がごく当たり前にあるのだ。 山も、川も、田畑も、町並みも。 そしてなによりも、人が。
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