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ゆっくり・きょろきょろ 東海道五十三次を歩く

箱根越え 東坂上り (箱根湯本・三枚橋-箱根宿) 写真集
  
箱根湯本(三枚橋)-箱根宿         page top に戻る

くもりの日を選んだ。
5時起きで箱根湯本駅への到着が8時12分だった。三枚橋まで戻って再スタートである。
雲が低いのが気になる
早雲寺、正眼寺を過ぎて須雲川沿いに行くと、最初の石畳である
地図によると、このあたりに「初花の滝」があり、対岸に見えるはずだが樹が茂りすぎているためか、見つけることが出来ない
須雲の集落である。遠くに赤い社が見えるのは箱根大天狗神社らしい
    急坂が始まる。この部分の旧道は閉鎖されているが、まず「女転シ坂」である。ガイドブックには「オンナコロガシザカ」とフリ仮名が付いているが、道沿いの説明版には「オンナコロシサカ」となっている。 いずれにしても、あまりの急坂のために馬から女が転げ落ちたということからついた名のようである
割石坂は曽我兄弟が刀の切れ味を大石で試したという、江戸時代の石畳が残る
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畑宿              page top に戻る
車道から、左の旧道に入ると、江戸時代初期のころの姿を残しているという大沢坂である。
苔むした石畳が美しい。

この坂を登りきると、突然、畑宿の街並みが目の前に現れる
寄木細工の看板が目立つが通過する
「畑宿の一里塚」である
このように、道の両側に残る一里塚は、神奈川宿-戸塚宿間にあった「品濃一里塚」以来で、今は数少ないという

発掘調査結果の説明板がある
  畑宿からは、車道や箱根新道と旧道がほつれた糸のように絡み合って登る厳しい急坂である。まず、石畳の西海子坂から始まる
 
橿木坂は急坂で崩れてしまったらしく、今は殆んどが階段になっている。
これはきつい


車道に大型観光バスが何台か止まり、子ども達が降りてきた。
これはまずい。

後からプレッシャーをかけられるのはたまらない、と思って、小休止して先に行ってもらった。「こんにちは」と元気が良い。千葉市からきたという
その、子ども達の列の最後に、大きなカメラバックを肩に下げ、重そうな三脚と大型カメラを持って、フーフー云いながら必死についてゆくのは中年の男性である。 どうやら、同行してきた学校の写真屋さんらしい。
これはお気の毒
見晴らし茶屋から小田原の市街と海が見える。
かなり登ったようだ
  猿滑坂がある。「猿も滑るような」急坂だが、ここも階段である。 あの写真屋さんが、ここで階段を見上げて、ため息をついている様子が、遠くから見えた。
その階段下に着いて、小生も階段を見上げて大きくため息をついた。
このきつい登りが終わると、あとは甘酒茶屋までゆるいだらだら坂である。これを追込坂という
甘酒茶屋              page top に戻る
 
子ども達が甘酒茶屋を占領していた。餅を注文する列が延々と続いている。 
写真屋さんも無事着いたようで、餅を楽しむ子ども達をさかんに撮影していた。

その行列に並ぶ元気はなかったが、幸い別に注文を受けてくれた。甘酒と安倍川餅が大変美味であった。なにしろ、やっと11時半にどりついたブランチである
  甘酒茶屋の裏からさらに石畳が続く500mほどで国道を越えて急坂に入る。 ここはきつい。
霧に濡れた石はとても滑りやすい。
石は、場所によって様々な形のものが使われている。江戸の頃から、坂の勾配などに応じて使い分けてきたらしい。
写真では勾配が分かりにくいが
ここもかなりの急坂である

小生とは逆に坂を下ってきて、すれ違った子ども達は、箱根の千石から来た小学生らしい。
全員、わらじ履きである。 素足につけている子もいれば白い足袋を履いている子もいる。
聞くと、靴よりも滑りにくいという。でもすれ違ったあと、背中から聞こえてきた。「ボクは靴の方がいいと思う」と。

濡れていると、乾いている時に較べて疲れが何倍も違うように思う。美しい苔も大敵だ

この坂も含めて何度か、両方のフトモモの内側に異常を感じた。ツリそうになるのである。 勧めもあってエアサロンパスを持ってきたが、少しの時間立ち止まるだけで、いずれもすぐに快復した幸いであった。
どうも、いつもと違う筋肉を使っているようである
 
元箱根              page top に戻る
  最高地点の「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」の大きな歌碑を過ぎると、やっと下りの権現坂である。
途中で視界が開けて芦ノ湖の湖面が見える、とガイドブックに書いてあるが、何も見えない


しかし、さらに歩いて、杉並木が現われたときは、これがイメージ的には、箱根越えの上りの目標であったから、たいへんうれしい

振り返ると、「箱根旧街道、畑宿、湯本を経て小田原に至る」と書いてある。 「日本橋に至る」とは書いてない。
それはそうだろう。

あじさいが鮮やかである
湖面は波立ち、ガスがかかっている

予想外の早い時間に、元箱根に到着してしまった。 まだ12時を過ぎたばかりである。
そう思っているうちに、さっき、甘酒茶屋で、まだ注文の行列を作っていた子ども達がもう追いついてきた。
とにかく彼らは元気である。

箱根宿付近に予約した宿に入るにはあまりに早すぎるので、霧の立ち込める元箱根から、箱根地区にかけて、昼食もとりながらゆっくり散策することにした
 
本来は富士山が良く見える恩賜公園の展望台である。 
ここで、立派な富士が写るはずであった。 これでも、しばらく待って、霧が薄くなったときにやっと撮った写真である。ひどい時にはどちらを向いても真っ白である

同じ思いであろう、外国人が数人残念そうにここで写真を撮っていた。
遠くに、山のホテルも、ガスに見え隠れしている
 
箱根関所跡は再現工事で、様子が変わりつつある
箱根宿              page top に戻る
 
 
関所を「無事」通過して、箱根宿に着いた。
意外に感ずるのは、箱根宿の街に、宿場や、旧街道の雰囲気を思わせるものが何もないことである。
箱根宿の跡であることを示すものは、素っ気なく「箱根宿」と書かれた看板だけである。

箱根宿は、駅伝と海賊船にのっとられてしまい、今はこれらに頼っているように見える
霧の中に幽霊船が登場、と思ったら、海賊船だった
海賊船の基地の近く、案内図の53番が今夜の宿である
どう見ても、庭がよく手入れされた住宅のようにしか見えず、半信半疑で玄関のベルを押した。応答がないので、他に入口があるのではないかと思って、もう一度周囲の道を一周した。

清潔で大変心のこもった、すばらしい民宿だった
元箱根から引いているという温泉も実によい
おばあさん手作りの料理も最高で、本物のお袋の味である。
ここに、箱根宿の心が残っていた

ビールと日本酒で、初日の成功を祝って、ただし、ひとり寂しく、乾杯した

4時間で三枚橋から元箱根まで歩いたのだから快調だったといってよいだろう明日は山くだりだ
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