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東海道五十三次を歩く 箱根越え 西坂下り (箱根宿-三島) 写真集 |
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箱根宿から箱根峠へ-三島 page top に戻る | |||
相変わらず、霧が立ち込めている。 早い朝食を準備してもらったので、7時50分に宿を出ることができた。 箱根宿、すなわち箱根町箱根地区の町街並みは、すでに電線の地中化も終わっているようで、近代的である。 箱根宿の名残を唯一残すと思われる楓の古木がある。 箱根ホテルの前である。 ここは、本陣「はふや」の門前だったという。 箱根山中には杉並木が植えられたが、箱根宿では楓並木にしたという。 明治の道路拡張でこの楓並木は切られたらしい。 400年の樹齢である。 この宿には、本陣が6軒もあったという。 参勤交替に不便であるとの西国大名の声により、1681年に設置された宿である。 旧道に向かうと、駒形神社、芦川の石仏・石塔群、そしていよいよ、箱根峠に向けて最後の石畳の坂、向坂である。 きつい登りだし、霧に濡れてとても歩きにくい。 殆んど誰も歩いたことがないような、異次元の雰囲気である。 しかし、美しい坂道である |
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向坂を登り、石畳が国道1号線の下をくぐると赤石坂、風越坂、挟石坂と続いて、突然、近代的なインターチェンジの中に迷い出る。 間もなく、標高846mの、箱根越えで、いや東海道で最高地点の箱根峠交差点である。 同時に、神奈川県から静岡県に入ったことにもなる。 神奈川県は大きかった。道は長かった 旧道への「ゲート」を見つけて進むと、かわいい峠のお地蔵さんが現れる。新箱根八里記念碑だそうだ。宮城まり子さん(右)、黒柳徹子さん(左)らの作品が並ぶ |
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箱根峠から山中城址方向へ下る page top に戻る | |||
茨ヶ原に石畳づくりの旧道入口がある。 湿った石畳の下り道が始まる。 笹が覆いかぶさってくる。腰をかがめなければならないほどに狭まっているところもある。 霧をしっかり含んで重くなったのであろうか。 心が洗われるような清々しさとともに、潤いがある。 これで、国道から聞こえてくるクルマの音がなければもっと良いのだが |
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接待茶屋跡である。 苦難する旅人への施しとして、人馬に粥や飼葉の無料提供が始まったのは、江戸中期、箱根山金剛院別当によってだという。その後明治維新による中断等もあったが、江戸の豪商や宗教団体、篤志家などに引き継がれ、昭和45年まで続いたという。 心を感ずる |
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1号線の道路建設で場所を移動したという、「兜石」 | |||
山中城址もガスに煙っていた | |||
上長坂の手前に、芭蕉の句碑。 「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」。 苦笑してしまった。 芭蕉も、今回同様、霧に閉ざされてしまったようだ。 よき句を残してくれたものだ。 ぴったりの心境である。 |
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山中城址から三島に下る page top に戻る | |||
上長坂である。 この付近では、石畳に平らな石を使っているところが多い。 これが難儀である。平坦な道ならば、そして乾いているならばよいのだが、かなりの坂で、霧に濡れているから、滑るのである。靴をどう向けても、重心をどう置いても滑るのである。でこぼこの丸石の方がずっと歩きやすい |
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笹原の一里塚跡 | |||
国道を渡ると、下長坂である。今は生活道路として、舗装された立派な道だが、かつてはここも大変な難所だったようである。 背負っていた米が、汗と暑さで強飯になってしまったという。 だから「こわめし坂」とも呼ばれているそうだ。 たしかに、バランスをとるのが難しいほどの急坂である |
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国道に戻ると、ここにも旧道らしい雰囲気が残されている | |||
三島の町が見えてきた | |||
臼転坂である。ウスコロビザカと読む。 聞かなくても、名の由来が想像できる |
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国道バイパスとの合流地点は工事中で、様子が変わっていた。「箱根路の石碑」も、迂回させられたせいか、見つけられなかった。しかし、初音ヶ原まで来ると、もう三島の町である。 「錦田の一里塚」があり、整備された石畳が延々と続く。 もう結構、といいたいのだが。 117は、日本橋からの距離であろうか。箱根までは、「日本橋から○○km」の表示だったが、ここにはそう書かれていない。箱根を越えて、早くも江戸の権力は弱まったか |
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最後の石畳坂を下り三島市街地に入る page top に戻る | |||
最後の石畳の坂、愛宕坂である | |||
踏切には、「旧東海道踏切」と表示されていた | |||
三島宿の雰囲気が濃厚である | |||
三島宿に到着 page top に戻る | |||
ついに、三嶋大社に到着。 箱根を越えた、との実感はまだ湧かないが、ここが区切りである。 伊豆の下田街道は、ここからの脇街道である。 |
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次々に、美しい建物が現われる | |||
ここが三島本町交差点。 本日の終点である。 やはり、昔の箱根越えは大変だったようで、三島宿に着いた旅人は「山祝い」をしたという。多少の散財をしたらしい。三島の宿もこうした恩恵を受けたという。 昔の人の苦労が良くわかった小生も、このあと、実にささやかだが、ひとり、ビールで「山祝い」をした |
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山を越えて、ヤマを越えた気分であるが、まだ先は長い |
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