その5 箱根越え |
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箱根湯本(三枚橋)-箱根宿-三島宿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2006年7月 |
いよいよ箱根越え |
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いよいよ、旧東海道を通っての箱根越えである。二日かける。前回、小田原から三枚橋まで貯金したのでその分は楽であるが、それでも25kmほどの距離の間に、標高850mの峠を越えることになる。 箱根八里は馬でも越すが・・・・、と歌われたが、馬も難儀したであろう山道の厳しさに加えて、厳しい検査のある箱根関所の通過への緊張感もあって、二重、三重に大変だったらしい。 道の厳しさについて見れば、現在の小田原、三島間の車道の最大勾配は12%だが、これに対して旧道は平均20%、最大40%の勾配という。なるほど。 そもそも、平安時代の富士山爆発により、それまでの足柄道が廃止されて、まず湯坂道が箱根越えのルートになったという。 湯本から湯坂山-浅間山-鷹ノ巣山-芦ノ湯経由で元箱根に至るのが湯坂道で、現在はハイキングコースとして残っているらしい。 その後、交通量の増加にともなって1618年に、距離的にも歩き安さでも勝るという旧東海道が開発されたが、勾配もさることながら、雨や雪のときには膝まで埋もれる泥道になったというから、想像を絶する困難な道だったようだ。 このため、道に竹を敷いていたが、毎年、その竹を調達するだけでも大変だったという。その対策として幕府は1680年に石畳を完成させた。 1863年(文久2年)に和宮内親王の14代将軍徳川家茂への降嫁にあたって石畳が改修され、現在見る石畳の多くは、そのときのものであるらしい。なお、和宮内親王は反対派の妨害を避けるために、予定していた東海道から変更して、中山道を通ったと記憶している。 改修工事はカムフラージュだったのだろうか。 距離的には、東海道全体の6%余りに過ぎない箱根路であるが、現代に歩いてもかなりの苦労が待っていそうな気配で、緊張する。 それだけに楽しみな区間でもある。 |
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箱根越え 旧東海道ルートの標高図 (小田原-三島間) (カシミール3Dによる) 箱根峠付近の850mが最高地点である |
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箱根越え 東坂上り 箱根湯本(三枚橋)から箱根峠までのルート | ||
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箱根越え 西坂下り 箱根峠から三島までのルート | ||
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