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ゆっくり・きょろきょろ東海道を歩く
  
その5  箱根越え
  
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箱根湯本(三枚橋)-箱根宿-三島宿
ガイドブック カシミール 歩数計 カシミールおよび歩数計の測定点
箱根湯本(三枚橋)-箱根宿 11.1 km 11.12 km 23,151 箱根宿:箱根宿看板前 歩数に恩賜公園散策含む
箱根宿-三島宿 14.7 13.91 24,663 三島宿:本町交差点
合計 25.8 km 25.03 km 47,814
日本橋からの累計 112.1 km 114.97 km 177,541
2006年7月

  
いよいよ箱根越え
  
いよいよ、旧東海道を通っての箱根越えである。二日かける。前回、小田原から三枚橋まで貯金したのでその分は楽であるが、それでも25kmほどの距離の間に、標高850mの峠を越えることになる。 

箱根八里は馬でも越すが・・・・、と歌われたが、馬も難儀したであろう山道の厳しさに加えて、厳しい検査のある箱根関所の通過への緊張感もあって、二重、三重に大変だったらしい。 
道の厳しさについて見れば、現在の小田原、三島間の車道の最大勾配は12%だが、これに対して旧道は平均20%、最大40%の勾配という。なるほど。

そもそも、平安時代の富士山爆発により、それまでの足柄道が廃止されて、まず湯坂道が箱根越えのルートになったという。 湯本から湯坂山-浅間山-鷹ノ巣山-芦ノ湯経由で元箱根に至るのが湯坂道で、現在はハイキングコースとして残っているらしい。
その後、交通量の増加にともなって1618年に、距離的にも歩き安さでも勝るという旧東海道が開発されたが、勾配もさることながら、雨や雪のときには膝まで埋もれる泥道になったというから、想像を絶する困難な道だったようだ。 このため、道に竹を敷いていたが、毎年、その竹を調達するだけでも大変だったというその対策として幕府は1680年に石畳を完成させた。 1863年(文久2年)に和宮内親王の14代将軍徳川家茂への降嫁にあたって石畳が改修され、現在見る石畳の多くは、そのときのものであるらしい。なお、和宮内親王は反対派の妨害を避けるために、予定していた東海道から変更して、中山道を通ったと記憶している。 改修工事はカムフラージュだったのだろうか

距離的には、東海道全体の6%余りに過ぎない箱根路であるが、現代に歩いてもかなりの苦労が待っていそうな気配で、緊張する。 それだけに楽しみな区間でもある。
箱根越え 旧東海道ルートの標高図  (小田原-三島間)           (カシミール3Dによる)
箱根峠付近の850mが最高地点である
箱根越え 東坂上り  箱根湯本(三枚橋)から箱根峠までのルート      
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箱根越え 西坂下り   箱根峠から三島までのルート     
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