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旧北陸道 その6 下立(おりだて)-三日市宿-魚津宿-早月加積(はやつきかづみ) |
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2011年5月 |
下立(おりだて)から、三日市宿、魚津宿を経て早月加積(はやつきかづみ)まで | ||
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左に朝日岳、 中央に小蓮華岳、鉢ヶ岳 右に白馬岳、旭岳、一番高く見えるのが清水岳 宇奈月町浦山付近の旧北陸道より |
越中の人と自然と文化 富山弁 |
東西文化の境界線といわれる糸魚川、親不知を過ぎ、東西の文化の違いを探していたが、なかなか実感できないでいた。そんなとき、越中に入って魚津に泊ったのだが、居酒屋で、採れたてのキューリを籠にいっぱい入れて店に入ってきた地元のおじさんと店の親父さんが始めた会話が、何を話しているのかまったく分からない言葉なので驚いた、というよりショックを受けた。調べてみたら、富山弁は東西の方言(関西弁と東北弁)が入り混じっているそうだが、それだけでなく、富山市を流れる神通川とそのすぐ西の呉羽丘陵を境としてその東側を呉東、西側の呉西、さらに庄川の上流地域を五箇山と呼んで、この三つの地域で使われる言葉が違っていることが分かってきた。全く聞き取れなかった富山弁は、例えば、こんな具合だ。 ・乗らんまいけ (乗りましょうか) ・なーん、こ、だちぁかんわぁ (いや、これはもう駄目だ) ・か、なんちゅでかいと人おるがいねー (こりゃ何てたくさん人がいるんだろう) ・俺がだいてやるわい (俺が払うよ) ・ちんちんかかれんか! (正座しなさい!) (日本の方言 富山県富山弁:http://homepage1.nifty.com/zpe60314/kotobahogen9.htm より) これではおじさんと親父さんの話が分かるはずがない、と合点した。呉東、呉西そして五箇山では言葉だけでなく、文化も違うという。そういえば、富山では正月の餅は丸餅ではなく、四角い切り餅を使うと聞いたが、京文化の色彩が強い加賀の文化が伝わっている越中で、東の餅が使われている不思議を感じた。これも、恐らく呉羽山を境としながら、実際には丸と角が混在しているのではないだろうか。近くの飛騨高山では正月の雑煮には角餅を使うそうで、それは幕府直轄地だったから、と高山出身の友人から聞いた。越中から飛騨へは盛んに鰤(ぶり)が運ばれたから、そのルートで逆に富山には角餅が伝わったのだろうか。親不知を越えて角餅文化の越後から来たと考えるよりも自然であるように思う。信州の塩尻、諏訪あたりは文化の十字路であったが、ここ越中は文化の三叉路か。いや、海の街道として、北前船が北海道や下関、大阪とこの越中を繋ぐ大動脈であったから、やはり文化の十字路であろう。三陸路一海路の文化の交差点である。 居酒屋で、そのキューリのおじさんと話がはずんで盛りあがった。つまんでいた地魚を前に、富山県の魚をほめるつもりで、以前行った氷見の魚がおいしかったと話したら、氷見よりも魚津の魚がうまい! なんといっても、立山から海に流れ込むいい水があるから、と自慢された。氷見は呉西、魚津は呉東であり、その対抗意識があったのかもしれないと後で気づいた。蜃気楼といい、ホタルイカといい、埋没林といい、立山からの清冽な水があってのことで、このあたりの文化に山からの水が大きく影響している。呉東の誇りであるようだ。酒がはかどると、さらに急峻な山を下る鉄砲水の功罪、そしてそれを防ぐダムの功罪についてもおじさんの話が続いた。 |
この辺りに、散居村が広がっている map で地図や航空写真を見ると散居村の特徴がわかる mapの上部ボタンで「航空写真」を選び、左のスライダーを上から4番目程度にして拡大、右のマーカーリストにある 「散居村を行く」をクリック |
毛勝山 黒部市の北陸道が黒瀬川を渡る地点から |
僧ヶ岳を見て走るJR北陸線 |
魚津海岸 米騒動発祥の倉庫 map 参照 |
早月川・早月橋より |
残念ながら蜃気楼は出なかった |
剣岳のある風景 早月加積付近 |
残雪の山並みと水田を背景にした不動明王 |
表現が難しいほどの美しさに感動しながら、この夜、20数年ぶりの友人と旧交を温め、越中の味と酒を楽しんだ |
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