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ゆっくり・きょろきょろ 旧北国街道・旧北陸道を歩く 
旧北陸道 その

泊宿-船見宿-下立
  
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区間 宿場間計算距離 GPS測定値 歩数計 備考
泊宿-船見宿 8.60 km 8.36 km 11,715 泊:駅入り口交差点
船見宿-愛本橋-下立 - 3.98 6,136 下立:駅への分岐点
合計 8.60 km 12.34 km 17,851
高田宿からの累計 88.26 km 107.11 km 160,740
追分宿からの累計 222.89 km 254.40
km 372,809 GPS測定値と歩数には、寄り道、道の間違いロス分を含む
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2011年5月
   
泊宿から、船見宿を経て、下立(おりだて)まで
  
 9か月ぶりの旧北陸道歩きである。昨年、8月末の極暑の中を歩いたためか足を痛めたこと、北陸の冬の天候そして、3月11日の未曾有の大震災による影響と自粛のためであった。 しかし、立山の残雪があるうちに歩きたいと思い、不順が続いた天候が5月中旬に安定するとの予報を得て飛び出した。
 歩いてみて、この越中北陸道に、これほど美しい季節はないだろうと思った。昨夏の極暑の中での中断は正解だったのだ。 立山連峰から急流を下った水が、大小の無数の用水路をとうとうと流れて、隅々の田まで配られている。 そして、溢れんばかりに張られた水では田植えの真っ最中で、水面に立山の姿を映している。美しい散居村の屋敷林も、道端の石仏も水に映っている。まことに美しい世界である
 宇奈月から先の行程では、富山地方鉄道と旧北陸道がつかず離れず並走するところが多く、ヤドから出発点へ、終着点からヤドへ、と宿舎との往き来にこの鉄道の世話になったが、不思議なことに気づいた。 めったに来ない電車であるから、無人駅のプラットホームの小屋のベンチで1時間近く待つことが2度ほどあったのだが、予想していたイライラがないのである。 遠くから聞こえる田植え機の働く音と、まだ大合唱ではない蛙の声や、ヒバリのさえずりが聞こえるだけの世界である。 実に静かで、のどかで、平和だから気持ちが落ち着くのだが、時は決して止まらずにいつの間にか進んでくれるのである。 たちまちのうちに、ゆったり動く田舎の時間に慣れて、溶け込んでしまったらしい。
  
  
  
    
船見宿
  
切妻・妻入りの家々が並ぶ
  
石仏たちが並んで出迎えてくれた
   
  
  
愛本橋 : 加賀藩はこの近くに木造アーチ式の旧愛本橋を架けて、河口の四十八ヶ瀬(黒部川)を通らない上往還を開いた
 -- mapの説明を参照
 
  
  
流灌頂(ながれかんじょう)  -- map の説明を参照
  
  
越中北陸道のお地蔵さんたち
 旧街道歩きの楽しみの一つは、街道沿いにある石仏や石碑を観ることである。芭蕉の句碑をはじめ、歌碑など文学碑が多かった旧東海道、微笑ましい姿の道祖神が次々に登場して慰められた旧中山道など、石造物には街道ごとにそれぞれの個性があるようである。地蔵、馬頭観音、庚申塔、五輪塔などの信仰にもとづくものをはじめ、道標や記念碑、句碑、歌碑など、きわめて多くの種類があるが、旧北陸道独特の個性がありそうである。もちろん、他の街道同様に、信仰にもとづく地蔵、不動明王、青面金剛や庚申塔が多い。その他の石碑類では、越後でも書いたが、相撲力士の顕彰碑や記念碑が多い。行司の碑まであるが、これらはいわゆる草相撲の力士や関係者たちらしい。この辺りは相撲が大変盛んで、郷土のヒーローだったのだろう。また、他でもよく見かけるが、特に北陸道には、「陸軍歩兵 上等兵 勲八等 功七等 ****」と書かれた大きくて立派な戦没碑が非常に多い。明治天皇の御小休記念の碑に負けないほど立派である。そのほとんどが日露戦争のもので、しかも大部分はあの盤龍山の戦いによる戦没者であるという。今も大切に手入れがされていて、感ずるところ大である。 郷土の勇士を褒め称え、家族の無念な思いを街道に刻んで、朽ちることのない歴史の証となったのだ。
 以下は、今回歩いた際に撮った石造物の写真の一部である。文字で書かれたものはあったが、夫婦などを彫った道祖神を見なかったのは意外であった。地蔵が多かったが、木造の立派な地蔵堂や石造りの小堂に守られている像が多かった。大切にされているのだろう。そして、みずみずしい水田や立山の美しい山並みを背景に、地蔵も他の石仏たちも幸せそうであった。


ニ大岩不動だろうか

音頭師の碑とある

力士の顕彰碑

これも庚申塔か

 なお、今回の越中北陸道を歩くにあたって、そのルートや沿道の史跡等については、唯一とも云える旧北陸道の調査資料、富山県教育委員会の「富山県歴史の道調査報告書-北陸街道-」にもっぱらお世話になった。そこには、越後との境から富山市の水橋宿までの旧北陸道沿いの石造物を丹念に調査した結果が解説されている。これによると、この区間の旧北陸道では、地蔵が117体で石仏の51%、不動明王が19体で8.3%、青面金剛が17体で7%という。各種の観音像の合計では59体で26%であるそうだ。ちなみに、石造物全体では、調査した昭和55年当時、469個あったという。


三角形の二辺を通る遠まわりの道は、明日、三日市(現黒部市)で入善道と合流して魚津、滑川に向かう

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