home
  
旧奥州道中 その8

氏家-喜連川-佐久山-大田原
  
旧日光道中・旧奥州道中を歩く トップページ (目次)
前の宿    次の宿
区間 宿場間
計算距離
GPS測定値 歩数計 備考
氏家-喜連川 8.00 km 7.05 km 10,689 氏家GPS測定値と歩数:本陣跡の約800m先の交差点
喜連川-佐久山 11.27 11.97 17,259
佐久山-大田原  4.76   7.80   10,956   大田原GPS測定値と歩数:約50m先のパインズホテル前
合計 24.03 km 26.82 km 38,904
日本橋からの累計 152.35 km 169.77 km 239,128
日光道・奥州道の累計 186.46 km 207.76 km 296,576 GPS測定値と歩数に、寄り道、道の間違いロス分を含む
map
2014年10月
    
 
 
氏家から喜連川、佐久山、大田原へ
       
 
 
石碑の道・石仏の道
 旧奥州街道にも、多くの石碑がある。これまで歩いた旧東海道や旧中山道、旧北陸道でも、そして、今回の旧奥州街道でも、旧街道歩きをしているつもりなのに、実は明治天皇の足跡を追いかけているのではないか、と苦笑いするほど、どこに行っても立派な明治天皇行幸記念の石碑が建っている。「明治天皇御駐輦之碑」とか「明治天皇御小休所」、「明治天皇御膳水」などである。公開されている「明治天皇行幸年表」(出版:大行堂、オンライン化:近代デジタルライブラリー)によると、明治14年8月に、山形秋田及北海道御行幸の途中、この奥州街道を通っておられる。宇都宮で三泊して白沢から鬼怒川岸などで、野立、大演習展覧などをされながら、氏家と喜連川で小休、佐久山で一泊し、同様に野立と小休を繰り返して、芦野に一泊、白河へと進んだらしい。宿泊や小休された家は大変な名誉だったから、立派な記念碑を建てたのであろう。
那須町板谷 諭農の碑

 他にもいろいろな石碑がある。例えば「蒲盧碑(ほろのひ)」という碑があり、立派な小屋に収められている。那須野に刀を荷い槍を打ち立てた一隊の兵士が行進する蜃気楼が現れたので、ここを通りかかった甲州の行脚僧がその光景を記録して、のちに石に刻んだという。当時の代官の善政を中国の書にある文に結びつけたものらしい。「諭農の碑」なる碑もある。病虫害の駆除や予防、飢餓への備え、飢人の看護法など農民を諭す言句が彫られている(右写真)。

 句碑、歌碑ももちろん多い。奥の細道と重なるところが多いから、当然、奥の細道の句を刻んだ碑をあちらこちらに見かける。遊行柳には、西行の歌碑、芭蕉と蕪村の句碑が並ぶ。

     
 喜連川 碧梧桐句碑
阪を下りて左右に藪あり栗おつる
   鍋掛宿 芭蕉句碑
野を横に馬牽きむけよほとゝぎす
 
     遊行柳 西行歌碑碑
道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ち止まりつれ
 遊行柳 芭蕉句碑
田一枚植ゑて立ち去る柳かな
 
















 道沿いには地蔵をはじめ石仏も多い。おびただしい数といった方がよいかもしれない。道路の普請や農地整理事業などで、集めたと思われる石仏群も多い。石仏はどこにでも、同じようにあると思われるのだが、気をつけてみると、宗教上の違いなのか、風土の違いからか、他の街道とは異なる傾向を感じ取ることができる。

 宇都宮宿を出て、圧倒的に多いのが馬頭観音である。ただし、人身馬頭などの彫像ではなく、ほとんどは文字を刻んだものである。馬頭観音は観世音菩薩のひとつであるが、信仰というよりも馬を飼い、利用した人による馬の供養塔であり、あるいは山道の安全祈願などのために立てられた碑だと考えられる。道標を兼ねたものもあった。馬頭観音にならって、同様に牛を供養したらしい牛頭観音も何度か見かけた。他の街道で気がついた記憶がない。農作業がらみでこの地方に多いのかもしれない。

 他の街道に多かった庚申塔を、宇都宮以北で見ることがなかったのは意外である。気がつかなかったのだろうか。庚申塔は庚申講を3年18回続けた記念に建てられるという。庚申講とは人間の体内にいる三尸虫が、庚申の日の夜、寝ている間に天の神にその人間の悪事を報告しに行くとされ、それを避けるために庚申の日の夜、夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り宴会をする風習を持つ講である。この塔、関東に多いというのだが、この地方では違うのかもしれない。そういえば、二十三夜塔、十六夜塔、十九夜塔など、月待塔と呼ばれる塔がここにはとても多かった。それぞれの月齢のときに集まって飲食し、経を唱えて月を拝むという講である。その記念塔がこれらの塔である。北関東では月を信仰する習慣の方が強かったのかもしれない。

         
 二十三夜塔(右)   十六夜塔
   
       
  青面金剛塔  馬頭観音  馬頭観音  馬頭観世音碑 
弁慶の足踏み石
     
  二十三夜塔    二十三夜塔
   
 
 喜連川町の「ほほえみ仏」    
             
 
 
 
氏家から喜連川へ 
 
  
  
      
   
 
      
    
延々と続いた関東平野がついに終わって、山地に入った ----- 氏家・喜連川間の早乙女坂  
      
 
     
 
 喜連川から佐久山へ
 
 
      
   
 
  
   
   
   
   
 
   
   
 
ワダチが頼りの旧道 GPSで確認しながら進む    喜連川にて 
     
   
 
 雨モードの二日目
     
 
 
       
   
 佐久山から大田原へ
 
 
この辺りの川は澄んでいて気持ちがよい  糸魚(イトヨ)が住むという佐久山の田谷川 
    
    
  
 
      
 
  
      
 
 
      
 
              
              
 
 
 
 
 
      
 
  
 
 
 
 
 
                        
      
  
 
      

 map  
前の宿    次の宿
page top に戻る
旧日光道中・旧奥州道中を歩く トップページ (目次)

home