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ゆっくり・きょろきょろ 旧中山道を歩く
その 19

細久手宿-御嶽宿-伏見宿-太田宿
  
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区間 旧中山道里程表 カシミール3D 歩数計 備考
細久手-御嶽 11.8 km 11.9 km 16,131 細久手:本陣跡
御嶽-伏見 3.9 5.1 7,191
伏見-太田 7.9 7.7 10,962
23.6 24.7 34,284
日本橋からの累計 387.8
km 399.3 km 549,234
  route_map
2008年5月
  

細久手宿から御嶽宿、伏見宿を経て太田宿まで

  
 細久手から、まだ山地が続くものの、ほぼ下り坂である。 碓井峠以来長かった信州と美濃の山地も終わりである。 美濃に入って、小さな街道筋の山村にも急速に京都の香りがしてきたが、平地に出ればいっそうその気配が強くなるであろう。 東海道と合流する草津宿まで続くその変化を楽しんで行きたい。
 木曽を出て、美濃に入り、電話の市外局番が 02から 05 に変わったことが、急激な変化に思えて驚いた。 今日、山を降りると鉄道も中央西線から、高山本線や名鉄の地域に入る。 一気に、文化の違う地域へ飛び込むような興奮がある。 おそらく、昔の旅人ならば、そうだったに違いない。 いささかでも、そうしたことに出会えるとよいのだが・・・
   
   
     
   
     

美濃路とは、美濃の文化とは

   
 木曽路が終わって、次は美濃路、と云いたいが、本来「美濃路」は東海道の宮宿(熱田)と中山道の垂井宿をつなぐ脇往還をいうらしいことがわかった。東海道の桑名までの七里の渡しが、夜間や時化のときに使えなかったこともあって、将軍の上洛などに使われた道だった。途中に七宿あって、名古屋宿や大垣宿もその一部である。だから木曽路から美濃に入ってくる中山道は、「美濃路」ではなくて、おそらく「美濃中山道」と表現するのが正しいのではないかと思う。なお、鉄道を開くとき、東海道線の熱田から岐阜間はこの美濃往還沿いに通したこともあって、今も、旧東海道が桑名から鈴鹿峠に向かっていたことを知らず、この東海道線と同じルートだと思っている人も少なくないようだ。

 さて、美濃についてはこれまで断片的な接点しかなかったから、よく知らない。 その文化がどのようなものか興味があるが、全体像としての美濃の文化がとらえられるかどうか気がかりである。直感的、断片的知識から、上記の理由もあって交通の要所であり、ここもまた文化の十字路的な性格があるのではないかと思うし、関の刃物、美濃紙などが浮かんでくる。しかし、おそらく、楽市・楽座の本場であるから、もともと商業が盛んなところで、古くから商人に力があったのだろう。街道のあちらこちらに、すでに肩をそびやかしている卯建(うだつ)も、たしかその商家の力を示すものだと聞いたように思う。

 宮本常一氏の著作集(49)の中に、昭和18年ごろ美濃の山中を歩いたときに、「塩木をなめる」 という言葉を聞いた、との話が出てくる。一瞬、何のことかわからないが、実は「なめる」というのは、舌で舐めるのではなくて、「伐る」ことであり、「塩木」 とは、海岸で塩を焼く(作る)ために燃やす木のことである。すなわち、自分で塩を作るために、その燃料である木を伐採することが 「塩木をなめる」 という意味だったのだ。以前は、揖斐川の河口あたりで塩を焼いていたらしい。のちに、瀬戸内の塩を買うようになってからも、薪(たきぎ)を伐るときにこの言葉が使われていて、その本来の意味は言い伝えでお年寄りに残っていたらしい。実に味のある言葉である。このような文化は、街道を急ぎ足で歩くだけでは、とても触れることができないが、資料からだけでも、何かをつかみながら楽しい美濃歩きにしたいと思う。
     
                         
   細久手から御嶽へ
  
「ゆっくり・きょろきょろ」なので、みなさんより1時間早く出発した。 途中で追いつかれるのだが
  
   
物見峠に向かう途中の竹林
「牛の鼻欠け坂」を下るとついに平地に出る。 ここが中山道の信濃から続いてきた山地と西の平地を分ける境界である
   
御嶽宿から、伏見宿、太田宿へ
    
   
    
  
妻籠以来の木曽川に再会 
 「木曽の桟 太田の渡し 碓井峠がなくばよい」と云われた難所の太田の渡しがあった 今、日本ライン下りの出発点だ
  
    
  
  
  
太田宿脇本陣林家は当時の遺構を残す中山道唯一の建物という
卯建の見事さに圧倒される
  
    
御代桜酒造
  
木曽路妻籠宿からスタートした今回は、この太田宿で終えることにする。 街道沿いの家並みなどの景観を味わい、歩みとともに変わって行く文化を楽しむ立場からは、変曲点を通過したと思われる今回のコースであった。 京文化の香りが、美濃の文化とどのように絡み合いながら強まってくるのかを、次回楽しみたい。
       
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