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その2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
神奈川宿-保土ヶ谷宿-戸塚宿-藤沢宿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2006年6月 |
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東海道が壁にぶつかった | |||
ついでではない旅が始まった。 ザックにウォーキングシューズ、帽子にタオルをはさんた行軍スタイルである。 この区間は、神奈川宿、すなわち横浜の台町からのスタートである。 ところが、いきなり、東海道が壁にぶつかった。 浅間下の新設道が旧道をさえぎっているのである。 |
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まだ、早い時間帯なのに、松原商店街は賑やかで元気が良い | |||
橘樹神社の茅の輪くぐり | |||
帷子川にかかる帷子橋。 帷子川は、タマちゃんが出現した川だった |
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保土ヶ谷に出る直前の金沢横町道標四基である。金沢、浦賀往還の出入り口だったそうだ。 | |||
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保土ヶ谷宿の本陣、軽部家。 通用門は当時のものらしい |
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本陣近くの旅籠屋(本金子屋)跡 | |||
日本橋を発ってから最初の難関、権太坂である。 旅人が、道端の老齢の農民に坂の名を聞いたところ、耳が遠くて、自分の名を聞かれたと思い、「権太」と答えたことから付いた名前という。 箱根駅伝でブレーキを起こす権太坂はこの近くだが、別の新道である。ここの本来の権太坂はとても静かだ。 坂上の近くには、行き倒れの旅人を埋めたという「投げ込み塚」もある。 ここから見た神奈川の海が美しかったとは想像も出来ない。 坂の傾斜を緩やかにしたというので、そのためか、あるいは覚悟していたせいか、1.5km続くだらだら坂だがあっさり登ってしまった。標高差は80m程度のようだ。行き倒れで埋められなくて良かった |
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坂を登りきると、立派な屋敷門がある。牡丹餅を売っていたという若林家である。 | |||
境木地蔵堂 | |||
これが境木である。 武蔵と相模の国境である。 |
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アップダウンが続き、昔の旅人の難儀が想像される。 この坂は焼餅坂というそうだ。疲れた旅人に焼いた餅を売っていたらしい |
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うっそうと茂った木々の間に通る細い道。その両側は小高い丘で、これが東海道でも珍しく、両側の塚が残っている「品濃一里塚」である。 | |||
突然表れる巨大ビル群。品濃坂付近は、農家も残るのどかな一帯だが、すぐ向こうは東戸塚駅前のニュータウンである | |||
こんな細い路地が東海道である。このすこし先で、この道は近代的な広い横浜環状2号線を歩道橋で渡る | |||
国道に出た。 | |||
国道と旧道がついたり離れたりを繰り返す。 | |||
こんな風景もある。 もちろん、国道から離れた旧道で、普段は目に入らないところにあるある | |||
国道に戻る | |||
戸塚宿に到着。 柏尾川にかかる吉田大橋である。 浮世絵は橋の欄干に描かれている。この絵の左方向、上の写真では後方だが、その方向に曲がると、鎌倉に通ずる。この「こめや」は旅籠屋という。 東海道線の開通でこの旅籠兼茶屋も廃業したが、その後も「こめや」の看板はこの家に保存されていたという。 |
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吉田首相が、大磯への往きかえりに、この開かずの踏切に怒り、日本最初の有料道路として、横浜新道、いわゆるワンマン道路を作ったことは有名だ。 これから、東海道線とは長いお付き合いになるはずだ。 どうぞよろしく! |
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戸塚宿澤邊本陣跡。この表示以外には何もない | |||
戸塚宿の八坂神社には、お札まきという踊りが残されている。 姉さんかぶりに襷がけの女装をした男性が輪になって踊るという。もともとは江戸時代中期に、江戸や大阪で盛んだった踊りだが、今はここだけに残っているという。 横浜市の指定無形民俗文化財に登録されている。 |
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こちらは戸塚の鎮守様、冨塚八幡宮である。 | |||
東海道の松並木の登場だ。しかし、松はわずかで、殆んどがケヤキのようだ。 昭和35年ごろ猛威を振るった松くい虫に多くの松がやられてしまったらしい |
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大船に通ずる、なつかしい原宿の交差点も近い。渋滞量県下一と悪名の高いところでもある | |||
原宿の一里塚跡 | |||
遊行寺も近い | |||
時宗総本山の遊行寺。 巨大だ |
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藤沢宿に到着である。 境川を渡る |
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ここが本日の終点、小田急江ノ島線・藤沢本町駅前である。 旧東海道にかかる橋の下が駅だ。 今日は、約22km歩いた。 ちょうど午後4時だから、6時間半、昼食時間を除けば6時間かかったことになる。 きょろきょろの旅ゆえ、カシミール3Dの標準時間よりも30分ほど余計にかかっている。 暑さにたまらず、2時半ごろにコンビニで買ったアイスクリームがとてもおいしかったが、ペースを乱してしまった。そのあとがきつかった。 次は大磯か二宮まで歩くことになる。 |
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