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勝沼ぶどう郷駅から出発地の勝沼宿へ |
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まずは、この日の集発地点までの移動である。朝一番に、同じ道を勝沼宿まで歩いた
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向こうに見えるのは「勝沼ぶどうの丘」
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勝沼宿から、栗原宿、石和宿を経て甲府柳町宿へ |
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不思議な甲州の道祖神 |
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駒橋にて |
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上花咲にて |
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勝沼にて |
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石和にて |
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白野の稲村神社にて |
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石和にて |
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甲府・和戸にて |
旧中山道の信州では、道祖神をたびたび見た。村と村の境界線道の辻などに、災いを村に入れないため、さらに子孫繁栄や旅の安全を願って祀られたと聞いてきた。男女が彫り込まれた双体道祖神や、神官風や僧形などの単身のもの、あるいは自然石に「道祖神」と文字だけ彫り込んだものなどさまざまあったが、どれも街道によく似合う石像として、地蔵や馬頭観音像などよりも親しみやすく、心をなごませる石造物として楽しく眺めてきたのである。
信州同様に甲州にも道祖神が多いと聞いていたので、また出会うのを楽しみにしていたが、上野原から甲州に入って鶴川宿から野田尻宿へ歩く途中で、さっそく双体道祖神に会うことができた。ところが、同じ日の夕方、猿橋宿を過ぎて駒橋宿の美しい家並みに目を奪われているとき、奇妙な石造物に出会って驚いた。四角い台石の上に丸い石が乗っている。とても道祖神には見えなかったが、台石に「道祖神」と文字が刻み込まれている。だから道祖神なのだろうが、何とも不思議である。さらに今回、大月から笹子峠を越えて甲府に向かう途中には、丸い石を載せた道祖神がつぎつぎに登場したのである。しかも、さまざまな形があるのでいっそう驚いた。台座に「道祖神」と書かれていないものも多いが、一個の丸石を台石に載せたものから始まって、大きい丸石のまわりを、たくさんの小さめの丸石で囲んだもの、柱状の石を丸石が囲んだもの、小さめの多数の丸石を積み上げたものなどである。原始的というか、素朴というか、自然崇拝を感じさせる趣である。使われているメインの丸石は明らかに自然石だったり、人工的に真球に近く加工したと思われるものだったりする。石製の祠に入った立派なものもある。これらは、信州で見てきた道祖神とはまるで違い、いったいどういうことなのか、そもそも道祖神とは何なのか、と改めて考えずにいられなくなってしまった。実に不思議な道祖神である。
これらは、丸石の道祖神と呼ばれるものであることがわかった。山梨県の道祖神研究家、中沢 厚氏によると、道祖神には双神の石像道祖神、単神の石像道祖神、丸石の道祖神、石棒の道祖神、陽石の道祖神、異形石の道祖神などがあり、その他、「道祖神」と書いた文字碑などがある。そして、道祖神が全県的にあるのは山梨県と長野県だけで、部分的には神奈川、静岡、群馬の三県に分布し、これら5県に道祖神信仰が残っているという。そして、長野や神奈川では江戸時代につくられた男女二神像を主とするのとちがって、山梨では、丸石と石棒・陽石のような「得体のはっきりしない神体」を祀るものがはるかに多いという。山梨にももちろん双体(神)道祖神はあるのだが、丸石の方が主力とされているようで、県内に700体ほどあると考えられている。中沢氏は、これら丸石などの石系の神体が神像にくらべて起源が古く、ことによると縄文時代など、古代人の信仰遺物ではないか、と考えているらしい。
やはり道祖神は自然崇拝に近く、仏教よりも前からの信仰であり、神社信仰よりも古い可能性があるというのである。実際、縄文時代の石器の一種である石棒がしばしば道祖神の神体になっているとのことである。また、現在の神社でも、神体が丸石や石棒であるところが少なくないという。丸石だけでなく、男根形の陽石やいわゆる陰石などの自然石を祀ることからも、性信仰との関係も思わせて、道祖神信仰の古代性を表しているとの考えのようだ。何しろ、経典も何もない信仰である。
ここにきて、今まで探してきた甲州街道の個性についに出会ったと感じている。そしてこれまで、京都の文化が街道沿いに伝わる様子を追いかけてきて、文化とは伝播するもの、移動するものと思ってきた。しかし、道祖神、特にこの丸石道祖神は、なぜか本州中央部の山に囲まれた地域だけに留まっているし、中沢氏によれば、甲州にも多い双体道祖神だが、信州に数多くみられる婚礼をかたどった双神道祖神、すなわち女神がトックリをかたむけ、男神が盃を差し出す微笑ましい像形は、山梨県では小淵沢に二体見つかっているだけだという。氏は、文化は伝播するものであるが、一面においてはそうやすやすとは伝わらないことを教えている、としている。
なぜなのか、何なのか、と次々に疑問が沸いてくるが、追いかけることは簡単ではないようだ。専門家の間でも、まだまだ分からないことが多いのだそうだ。
ところで、甲府に到着して、この道祖神に関連して興味を持っていることがもうひとつある。江戸から招かれた広重が甲府で描いた幕絵についてであり、それを使った祭りについてでもある。祭りというのは、明治政府に禁止されて今はないが、当時は大変賑やかだった「甲府道祖神祭り」である。しかし、素朴な丸石道祖神と賑やかな祭りは、頭の中で結びつかない。いったいどんな祭りで、この素朴な丸石道祖神とどういう関係があったのだろうか。これも不思議である。次回のコラムで紹介したい。
【追記】
道祖神は5県に集中していると中沢氏は書いているが、同時に同氏は、散見するという程度であれば、上記5県だけでなく、かなり広範囲に分布し、新潟県、東京都下、千葉県、愛知県にもあり、東北各県や関西にも痕跡をとどめている、としている。中には道祖神としてみるかどうか、というものもあるのかもしれないが、他の資料によれば、鳥取、広島などの中国地方や九州の佐賀、福岡にもあるようだから、密度はともかくとして、全国的に分布しているというべきかもしれない。
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信州中山道の双神道祖神 |
甲府・善光寺近くにて
石祠内に丸石が祀られている |
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<参考資料>
・中沢 厚:山梨県の道祖神、有峰書店
・山梨県立博物館 調査・研究報告書3「歌川広重の甲州日記と甲府道祖神祭」調査研究報告書
・日本石仏協会:石仏必携ハンドブック、青娥書房
・外山晴彦:野仏の見方、小学館
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まだまだぶどう園が続く
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丸石道祖神 コラム「不思議な甲州の道祖神」を参照
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石和で笛吹川を渡る
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これも丸石の道祖神
コラム「不思議な甲州の道祖神」を参照
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この丸石道祖神は自然石ではないかもしれない
コラム「不思議な甲州の道祖神」を参照
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この丸石道祖神は空き地の一番奥にあった
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六地蔵? |
日本武尊はが東征の途中に立寄った
酒折宮はここだといわれている |
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露店の手にあるのはコウタケ(香茸)
松茸よりも美味ともいうが、二人とも鼻が不調のわが家では、味と歯ごたえしかわからなかった
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下の写真の塀の左端にこの石祠が見えている
この祠の中に丸石が祀られている。石祠の丸石道祖神である
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甲州善光寺近くの石川家住宅のお屋敷である |
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ご覧いただき、ありがとうございました
次回は、甲府から再スタートします |
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