津幡宿から金沢へ |
倶梨伽羅峠を越えた前日に引き続き、今回最後の旅は津幡から金沢までである
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ダイナミックな木組の「アズマダチ」は、金沢に向かう街道沿いにますます増えてきた |
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金沢に入れば、この色この形 |
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海の街道 その2 -- 馬子歌が北前船に乗った |
今回は金沢まで歩くのだが、次回について迷っていることがある。旧北陸道のルートから外れている山中温泉に立ち寄るかどうかである。旧北陸道歩きでは、奥の細道をたどる楽しみもある。芭蕉一行は小松と山中温泉を往復していて、途中の那谷寺での句や曽良と別れた山中での句も印象的である。しかし、それ以上に山中温泉に心が動くのは、この温泉が北前船と大きな関係があったからである。季節によっては大半のお客さんが北前船の船頭さんだったというし、中には旅籠・綿屋のように旅館経営の傍ら、自ら弁才船を持って北前船を経営していたところまである(牧野隆信:北前船の研究、法政大学出版)。山中温泉の大聖寺川が流れ下った河口近くには、瀬越、塩屋などの村がある。やや北にある橋立やこれらの村は、当時日本一の富豪村といわれ、北前船の船主がおおぜい住む村で、その船主や船頭、船乗りたちが山中温泉に出かけたのだ。
この村々の船頭や船乗りは、蝦夷地からの〆粕を運び終えて大坂から戻ると、1年間の疲れをいやすために山中温泉に湯治に来た。そして、内風呂のなかった当時、「惣湯」(今は総湯と書く)という中心街にある唯一の湯につかりながら各地で覚えてきた歌を披露するのである。入湯中は「ゆかたべ」という少女が付き添って、客が湯から上がるまで浴衣を持って待ちながら、歌に聞き惚れたそうだ。少なくとも明治のころまでは、そのとき、湯の中で歌ったのは決して山中節ではなく、どっさり節、出雲節、江差追分などだったという。「ゆかたべ」と客が掛け合って、歌詞には土地のことばや訛りを加えながら、船乗りたちが持って帰ったこれら各地の民謡の調子や風格を取りこんで、今の山中節が出来たという。
その江差追分だが、もともと、この北国、北陸道の旅の出発点である中山道との分岐点、信州・追分宿付近で生まれた馬子歌が、北国街道を経て越後に伝わって越後追分となり、これが北海道に運ばれて江差追分や松前追分になったという。北前船で戻ってきて秋田船方節などを生んだ。隠岐のどっさり節もその流れという。山中節成立にかかわった出雲節も面白い。出雲地方から船で能登の北前船の港、福浦に渡ってきた歌が、出雲節と呼ばれたまま福浦の歌詞で歌われた。時代とともに歌詞は変わって行くが、北前船の船頭が伝馬船で上陸してくるときに、着飾った芸者衆が手を振り、声を上げる光景がうたわれているのだ(高田
宏:日本海繁盛記、岩波新書)。古い山中節の一節に、「山が赤うなる木の葉が落ちる やがて船頭衆がござるやら」というのがある。北前船と山中温泉の関係が目に浮かんでくる。
もちろん、北前船が運ぶ荷そのものも文化である。加賀の九谷焼は北海道にたくさん運ばれた。富豪の村、橋立の船主の家に伊万里の絵皿が見つかっているという。その伊万里焼の刺激で、地元でも焼き物が試みられたとの記録もある。まさに文化を運んだ船の仕事の証である。しかし、「もの」を通してではなく、船頭や船乗りによって、人のことばや振る舞いを通して、人の気持ちや心が運ばれて伝わる様子は心に響くものがある。北前船はその面でも大きな役割を果たした。まさに海の街道である。
次回、もちろん大聖寺藩の橋立や瀬越に、まるで幻のように消え去った北前船の痕跡を訪ねてみるつもりである。やっぱり山中温泉にも行かねばなるまい、と思うこの頃である。
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前日の終点であった津幡宿を出発 |
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のどかな景色が続いて気持ちがよい |
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下口往還の松並木である 木は若いが並木は久しぶりである |
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菊知家住宅は明治4年に建築されたアズマダチで、金沢市の指定保存建造物である |
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金沢市街に入った。 画材屋さんの出桁構造が見事である |
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蔵元の屋根の小屋も明りとりだろうか |
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江戸時代後期に建てられた坂戸米穀店である 蔀戸が健在である 霧よけ、いや「サガリ」も袖壁もある |
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金沢・東茶屋街と主計町茶屋街 |
旧北陸道が金沢の街に入って浅野川を渡る前に左に入ると、東茶屋街である、言わずと知れた金沢の人気スポットである。 今回初めてこの街をのぞいたのだが、実は、今回の目標であった香林坊まで完歩したあと、まず港に近い金石の銭谷五兵衛記念館に行って、その帰りのバスを乗り継いでここに来た。 格子の見本市のように、ベンガラ格子などが見事に並んでいた
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静かな街に外国語が賑やかだった |
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上と下の細い路地は浅野川の反対側の主計町(かずえまち)茶屋街である |
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浅野川を渡って、右に曲がり、さらに裏道を抜けて百万石通りを行って今回のゴールの香林坊に到着 |
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塗込め壁と格子、そしてサガリも、袖壁もあるこの ”つし二階建て” は
街道に見る伝統的建築デザインを総動員した感がある |
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香林坊に到着 今回の終点である |
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今回は、予想外に順調に歩くことができて幸せであった 次回は白山を遠望しながら加賀を縦断することになる |