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ゆっくり・きょろきょろ 旧北国街道・旧北陸道を歩く 
旧北陸道 その

東岩瀬宿-下村宿-小杉宿
  
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区間 宿場間計算距離 GPS測定値 歩数計 備考
東岩瀬宿宿-下村宿 9.18 km 9.28 km 12,521
東岩瀬:御旅屋跡(富山商工会議所岩瀬支所付近)
下村宿-小杉宿 5.95 6.37 9,221 小杉: GPS、歩数は駅入り口交差点
合計 15.13 km 15.65 km 21,742
高田宿からの累計 145.25 km 162.76 km 242,483
追分宿からの累計 279.88 km 310.05 km 454,552 GPS測定値と歩数には、寄り道、道の間違いロス分を含む
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2011年5月
   
東岩瀬宿より、下村宿を経て小杉宿まで
  
 東岩瀬宿は、曳山車祭の朝である。「たてもん」を載せた12基の曳山車が町を巡幸し、「曳き合い」では10町の曳山車が参加して、激しいぶつかり合いを行うとのこと。350年の歴史があるそうだ。未明に雷雨があったが、山車からシートをはずして開会を待つころには明るい朝の日差しがきて、しっとりと濡れた街が清々しく輝いた。だが、祭の賑わいを見ることもなく先を急いだ。
    
大町の曳山車  
   
  
  
美しい牛ヶ首用水とのお付き合いがしばらく続いた。 時速6キロほどで歩みと同じ方向に流れていた
  
  
越中の山と川と人 そして道
 眼前に広がる立山連峰の雄大な眺めや、急流を駆け下りてきた雪解け水を満々と張った田を見て圧倒され、感動した。 越中の人々の暮らしや文化が、山と水に源を発していることは、書物で調べるまでもなく分った気がした。急峻な山々から黒部川、常願寺川、神通川の急流が走って、たびたびの大水で川筋を変え、しかしそのおかげで肥沃な土壌が豊かさをもたらしたことも、洪水と絶え間なく戦ったおかげで得た豊かさであることも、歩いたことによって、実感した気がするのだ。黒部川が暴れて翻弄されたため、加賀藩が上流に愛本橋を架けて迂回する上街道を開いたこともそうだし、東岩瀬宿から下村宿に向かう途中の牛ヶ首用水に沿った街道を歩いて、とうとうと流れる雪解け水を見事にコントロールして広大な平野の隅々まで行き渡らせている様子は、当り前のことなのに感嘆してしまった。田の畦すれすれに、なみなみと張られた水を見ると、地球がちょっと傾いたらこぼれてしまう、と心配になるほど実に正確に畦や水路が設計されているのだ。棚田などがあって自然と人の共生の美しきモデルとしてよく話題になる「里山」と同様に、しかし、ここでは巨大なスケールで、人と自然とが共存している。そんな当たり前のことを改めて実感する旅であった。

 当初、泊から越中北陸道歩きを始めて、家並みを抜けて視界が開けた瞬間、残雪の山と田植えの景色が広がっていて、これは懐かしい風景である、まるで童謡の世界であると思った。しかし、延4日間、旧街道を歩いて、祝杯の地酒を飲みながら思った。これは別格の風景である、と。 街道は、昔から地元の暮らしのメイン道路であるから、暮らしの匂いが満ちているし、旅人の汗まで染み込んでいる。だから、立派な屋敷や蔵もあるし、お地蔵さんも多い。その街道から、夫婦で田植えをする、そんな暮らしのあるシーンをシームレスで見ながら、感じながら歩いて見た風景である。懐かしさとともに、今まで味わったことのない、うれしさを感じた風景だったのである。まさに、街道歩き冥利に尽きる、と思った。

 そして、この風景こそが、旧北陸道の最大の個性であろう、と確信した。まだまだ、加賀、越前、近江と続くが、今の興奮からは、この確信に変化があるとは思えない。どうだろう。
  
麦の緑、屋敷林の緑に映えて、切妻壁の木組みが美しい
遠くに拡がっているのが呉羽丘陵である 文化の境界線という
「右江戸道」、「左はまみち」の道標が小屋に入っている map 参照
   
  下村宿は田園地帯にあるが、街道の雰囲気をよく残していて、うれしい家並みである。 
  鉄道からは遠く、一日に数本のバスが頼りである
    
  
  
  小杉宿も街道の雰囲気をかなり残している
   
「左いわせ、右とやま」 加賀藩主は右を、庶民は左から富山に向かったという
旧小杉貯金銀行 明治の土蔵造りである  現在は小杉展示館である

小杉で見つけた看板
 
3月11日から2カ月。やっと見つけた臨時の夜行高速バスで叔父叔母の地震見舞いに仙台に行ってからも1ヶ月半経った。被災地のみなさまの、たくましさとやさしさから逆に元気をいただいて出かけた越中旧北陸道だったが、山も川も田畑も、もちろん海も、あまりにも美しく、あまりにも平和であった。東北でも、一日も早く美しい田園、美しい街が戻り、一日も早くいつもの暮らしが取り戻せますように、と祈りながら歩いた。
 
  

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