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チェコ  プラハ

5 日目 ( チェスキー・クルムロフ → ホラショヴィツェ → フルボカー城 → プラハ )  2005-6-17
6 日目 ( プラハ ) 6-18
7 日目 ( プラハ → クトナー・ホラ → コノピシュチェ城 → プラハ ) 6-19
8 日目 ( プラハ → ウイーン → 東京 ) 6-20

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 どこまでも続く田園地帯の道路は、殆んどが片側1車線の一般道でした。 ヨーロッパ独特の風景として、こうした道には、美しい並木があり、いくら眺めていても飽きることがありません。  そんな道も、やがて高速道路に入ると大都会の匂いがしてきます。 ヴルタヴァ川もとても幅の広い大河になったようです。 鉄道の駅や路面電車が見えると間もなく、高級な住宅街と思われる一帯を抜けて我々のホテルに到着です。
 フロントのコンシェルジュに聞いて、今日のスメタナホールの席が取れることがわかり、夕食後、出かけました。 まだ街も見ていないあわただしい到着直後ですが、ホテル専属のタクシーによる送り迎えをたのんで、心配が要らないのは幸いでした。 すり、置き引き、ニセ警官に注意せよとの警告が旅行社からも、外務省からも出ていて、ここプラハは特に注意が必要とのことでしたから。

 市民会館にある大ホール、スメタナホールは、プラハの春音楽祭のオープニングで、小林研一郎さんがチェコフィルを指揮して、スメタナの我が祖国を演奏したホールです。 チェコ人にとって特別の思いのあるプラハの春音楽祭であり、チェコ人の心であるスメタナですから、日本人指揮者には登場の機会がなかったそうですが、小林さんは、見事にチェコ人の心を動かしてこの光栄な機会をつかんだのだそうです。 まだ明るい空の光にステンドグラス天井が美しく輝いていました。 この夜は、モーツアルトのレクイエムのソロがとてもきれいで、堪能しました。

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 コンサートから帰った夜11時半です。 そろそろベッドにもぐりこもうかと思っていた頃、突然変な音が聞こえます。 パン、パン、パーン、と。 どうやら窓の外からの音のようです。 ハッとして、これは鉄砲の音ではないか。 そのうち、ドーン、と大砲らしき音まで聞こえてきます。 一瞬、思いました。 すでに安定していると聞いていたこの国も、まだそうではなかったのか、あるいはテロか、と。 恐る恐る、カーテンをちょっとだけ開けて、外の様子を伺いました。
 なんと、花火でした。 近くの丘の上から打ち上げられています。 夜の11時半に突然の花火、とはどういうことでしょう。 銀色一色のちりめん柄の織物を見ていうような花火や、細い銀色の線が幅広いすだれのように降りてくる花火など、日本とはいささか違っていて、なかなかセンスの良いものも多いようです。
 翌朝、我々の仲間では当然この花火騒ぎが話題になりました。 ホテルのフロントに聞いたのですが、まったく知らないそうです。 我々を歓迎してくれた花火である、と思うことにしましたが、誰が歓迎してくれたのでしょう。

 3泊のプラハで、まず市内の見物です。
 
路面電車の通りからプラハ城の北側の入り口に近い道には、菩提樹が咲いていました。 チェコの国の樹であり、国花でもあるそうです。梅雨の日本を離れて、ここヨーロッパは今、最も良い季節です。 汗をかくこともなく、美しい空と輝く陽の光は、何もかも美しく見せてくれるようです。

 聖ヴィート大聖堂からプラハ城の見学を始めました。 12mmの超広角レンズでやっと全貌を写すことが出来ました。 殆んどの人はファインダーに入れきれなかったようです。 プラハのどこからも見えるこの巨大な尖塔は、勿論ゴシック建築です。ムハ(ミュシャ)によるステンドグラスが魅力的でした。 ガラス絵はすべてアール・ヌーボー様式の作品といいます。 旧王宮内のヴラディスラフホールは、リブが交差したヴォールト天井のアーチが印象的です。 当時としては他にない広いホールだったそうで、今も、大統領選挙の際の開票場所として使われるそうです。

 聖ヴィート大聖堂
上は黄金の扉
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 このプラハ城といい、カレル橋といい、ものすごい人出です。 意外にも、日本人は影が薄い存在です。 世界中のありとあらゆる国からきているらしく、いろいろな聞いたこともない言葉が飛び交っていました。 歴史のある、しかし新しい国でもある新鮮な魅力がひきつけているのでしょう。 というわけで、城の召使や錬金術師が住み、カフカの仕事場もあったという城内の黄金小路は、身動きが出来ないほどで、さっさと抜け出しました。
 カレル橋に並ぶ聖人像に見下ろされながら、その間を抜け、旧市街を旧市庁舎へ。 久しぶりの日本食の昼食では、さしみ、てんぷら、焼き魚ですから日本酒を、と思っていたのですが、ひとりだけ、というのも気が引けてやはりチェコビールにしました。 プラハ「田村」ですが、築地とは関係がなさそうです。

 ヴァーツラフ広場では、戦車の痕を感じ、100万人市民の歓声を思いました。 前夜のコンサートで行ったスメタナホールのある市民会館を改めて外からみると、アール・ヌーボー最盛期の建物であることが良くわかります。 プラハは、ロマネスクから、ゴシック、ルネッサンス、バロック、アール・ヌーボー、そしてキュビスムやモダン建築まで、数百年を隔てた建物が隣り合う建築博物館の町、といわれるそうですが、確かに、実に多彩なデザインが美を競い合っていることを実感します。
 しかし、各時代の重量感あふれる建物が並ぶプラハだからでしょうか、超モダンなダンシング・ビルは、地元ではあまり評判がよくないということです。

 旧市庁舎に戻って、塔に登りました。エレベーターもありますが、歩きました。 美しい家並み、とくに赤瓦は、ため息が出るような圧倒的な迫力です。よく見ると、整然と建物が並んでいるわけではなくその複雑さがこの美しさの一つの要素になっているように思いました。 このボヘミアの旅のページのトップにある、いわばタイトル画像は、この塔から撮影した3枚を、後で合成したパノラマです。この雑然の美しさが分かっていただけるのではないかと思います。

民会 (アール・ヌーボー) 雑然の美 聖クラーシュ教会 (バロック)
ティーン教会 (ゴシック) 旧王宮(ロマネスク) ダンシングビル (モダン)
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