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坂本宿は計画的に作られた宿場で、この通りの真ん中に用水流れていたらしい。栄泉の坂本の図にもその用水が描かれている
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刎石の柱状節理 |
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碓氷峠への道に迷う |
坂本宿から碓氷峠への登りルートの一部分である。地図上の緑色の線が、計画したルートである。ガイドブック情報等を利用して、あらかじめカシミール3D上の2万5千分の一の地図に入力したものだ。 赤い線は実際の歩行軌跡である。 GPSが自動的に記録したデータを、帰ってからパソコンのカシミール3Dにダウンロードして表示したものである |
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右下の赤線部分に、道に迷って行きつ戻りつした記録が残っている。 草に覆われて曲がるべき道が分からず、結局、崖をよじ登ったのはここである。 ハネ石柱状節理に向けて登山道は九十九折だったにもかかわらず、赤線がまっすぐであるのは、地形と樹木のためか、必死に登る際にザックにくくりつけたGPS受信機の向きが悪かったためか、うまく衛星電波を捉えられなかったことが原因と思われる。 ハネ石柱状節理から刎石山までや、左上の座頭ころがし付近の緑と赤の線の食い違いは、ガイドブックの記載が不鮮明だったり、間違いだったための不正確な入力によるズレであろう。
今回持って行ったGPSでは、液晶画面に地図を表示することが出来ないが、経度緯度が正確にわかるので地図上のどこにいるのかが簡単にわかる。 ルート間違いの深みにはまることが避けられた。 これまで度々悩まされてきた問題のひとつが解決しそうである。 |
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峠への道は新緑に輝いている。
左右両側が深い谷になった堀切。
小田原攻めの際にこの地形を利用して北国勢を防いだが
上杉景勝、前田利家によってやぶられてしまったという。 |
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スイス土産の小さなカウベルをぶら下げて歩いた。
熊に効いたかどうかは分からないが、
鈴の音は、誰かと話しながら歩いているような
安心感を与えてくれた。 |
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碓氷峠の見晴台は観光地である。 前回にすぐそばを歩いてきた妙義山が見える。 懐かしい |
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碓氷峠である
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熊野神社の本殿のど真ん中、茶店の真ん中を群馬県と長野県の県境が走っている。賽銭箱も群馬側と長野側の両方にひとつずつ並んでいる。 これからの安全をお願いしたのだが、間違えて群馬県側にお賽銭を入れてしまった。 無事に峠を越えたお礼へと主旨変えしたが、遅すぎたか。
分水嶺もここを走っている。 休んだ茶店の真ん中を走っているそうだ。 ここで流した汗は日本海と太平洋のどちらへ流れるのだろう。 |
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軽井沢宿を通過 |
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軽井沢を紹介した英国人宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショウの碑がある記念礼拝所 |
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軽井沢、沓掛、追分の浅間三宿は、当時、ヒエとソバしか育たない土地だったといい、また天明の浅間山の大爆発では、軽井沢宿でも被害が出て、旅人の間に大混乱が生じたらしい。
竹下通りのような現在の軽井沢宿を駆け抜けてから、改めて広重の「軽井澤」の図を眺めた。
暗くなった街道の焚き火でキセルに火をつけようとしている旅人の風景には、心を揺さぶられる。 旅の原点、街道の原点の光景であり、絵である。 |
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