東海道を下る文化,上る文化
その3 新しい文化 |
そして思った。
亀山から関までの宿場から外れた街道筋を歩いた時に、広い土地があるにも関わらず、つし二階建てをわざわざ新築しているらしい様子に驚いた。 どれも立派な建物であり、伝統を守る意識の強さに感銘を受けた。 しかし、さらに歩いているうちに、そうではないかもしれないと思うようになってきた。 もちろん、宿場など伝統的な建物を積極的に保存しようという地元の方々の強い意思や行政のすばらしい活動があることは知っている。 ただ、それだけではないのではないか、と思うようになったのだ。
つし二階建ては、安定感のある造形的バランスが見事だと思う。 そして、二階の塗籠め壁や虫籠窓などの漆喰部と、一階の連子格子や板壁などの木部とが、まるで異次元的な質感の組み合わせによって、絶妙な美しさを生んでいるように感じる。 そして現代においても、この美しい形を積極的に使おうという動きがあるのではないか。 あるいはすでに、モダンな建築デザインのひとつとして確立されているのではないか、だから、宿場以外にもこのように拡がっているのではないか、と思い始めたのである。 伝統保存の努力だけではなく、現代にも通用する新しい形へと、ごく自然に変身しているのかもしれない。 新しい文化として生まれ変わったのかもしれない。
なんとも不思議である。
古代から、文化が肩に担がれ、背負われて上り、、そして文化が歩いて下った。 このような数間幅の狭い道を通ってである。 国内だけではなく、唐や百済から、そしてシルクロード経由の文化、オランダ文化もあったわけだ。 そして、こうした文化はまるで日本固有の文化であるがごとくに生まれ変わったが、街道沿いの新しい現代の建物の形、美しさも、こうして受け継がれて変身し、新しく蘇ったものかもしれない。 東海道を歩いて、その現場を見たような気がする。
いや、専門家に笑われるかもしれないし、分かりきったことなのかもしれないが、歩いて実感することに意味がある、と思う。
旅は歩くに限る。
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