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房総半島ウォーク その3 千倉-太海-鴨川 はこちらです


房総半島ウォーク  館山−白浜−千倉 28km


2006年5月
ウォークルートマップと距離・時間計算(カシミール3D)はこちらからどうぞ

 JR館山駅  房総半島を少しずつ歩いてみたいと思い、試しに歩いた前回の金谷-館山間に続き、今回は館山から千倉まで歩くことにした。 だが、まだ本格的に房総一周を始めたわけではない。
 前回のコース途中のトンネルの怖さに、どうやら房総は歩くところではないとの感想を持った。 今回のコースにトンネルは少ない。 しかし、
房総の道路の歩行者軽視は今回も同様で、自分の不注意も重なって、トラブルに会ってしまった。
 館山から千倉まで、海岸伝いに行くことを当初考えたが、距離が48kmもあって、途中一泊するとしても、バランスよく宿泊できそうな地点が見つからない。 そこで房総の海ばかり見て歩くのではなく、内陸部も歩いてみようという口実で、館山から白浜までほぼ最短と思われる県道を南下することにした。

 館山駅から南にしばらく歩き、商店街を抜けると、国道から離れたこともあって車も少なくなる。 駅から1kmほどで国道と分かれて左に曲がると、長須賀である。 道沿いに次々と趣のある家が現われる。 どうやらこの付近は主街道であった房総往還の終点「館山」近くの街道沿いだったようだ。 館山といえばJR館山駅あたりが中心と思ってしまうが、旧館山はこの長須賀を過ぎてかららしい。 資料によると、船橋から分岐してきた房総往還道が、金谷などを経て南下した後、現在の館山市に入って、「北条、新宿、長須賀を経て館山に至る街並みがあった」という表現である。 地図によると、もともと村だったこれらの町名は、現在、館山市内の町名として残っている。 
 里見氏最後の居城、館山城の址は、そういえば、街並みの南のはずれの山沿いにある。 最近の平成町村大合併で地名がどんどん変わり、イメージのわかない新地名に不満を並べているが、江戸から明治にかけての合併では、中核であった館山はすんなりその名を残したようである。

 板壁の建物は、どれも懐かしい色、形と雰囲気である。 昭和30年代の情景を表現したいと建設再開したジオラマ作りに再現したくなる。
長須賀付近
卯の花(ウツギ)
アマドコロ 神余
今回のコースは殆んど平坦で、最高地点は、館山市長田から神余に向かう峠で標高はたった95mである。 写真でお分かりのように、車は少ない。 しかし、この内陸の県道に歩道のあるところは殆んどない。 トンネルは2ヵ所であった。 そろそろトンネルではないかと、地図を見ながら歩いていたら、すごい衝撃を受けた。 気付くと側溝の中で仰向けになっていた。 歩道がないのでずっと側溝の蓋の上を歩いてきたのだが、突然、蓋のないところに来てしまったのだ。 幸いキズも打撲もたいしたことがなくて、また歩き始めた。
 神余は、「かなまり」と読む珍しい地名である。 高くはないが山が重なるのどかな地域である。 安房神社の神を支える人たちの家があったという地域の神戸(かんべ)の決まりによって、50戸を超えたときに開拓した別の里で、これを「余戸(あまりべ)と読んだという。 
 必ずしもその神余だけではないが、歩いていると、とても背の高い生垣に囲まれた家があちこちにあることに気付く。 槙の生垣が多い。
 帰ってから調べてみると、予想通り、強い風を防ぐための、この地方独特の景観であるという。高さ3mというが、そんなものではない、もっとずっと高い生垣も多い。 大きなはさみで生垣を整枝するのが大好きな家内でも、とても手に負えない高さである。 カーブミラーの高さと比較していただきたい。
 山は、三浦半島と植生が似ているらしく、マテバシイなどの照葉樹のつくる新緑模様が輝いている。 道々、山や道沿いの垣根には、いたるところに卯の花(ウツギ)が咲き、ホトトギスがウグイスと張り合うように鳴いていた。 「トッキョキョカキョク」と聞こえてしまうのだが、地方によってこの鳴き声の表し方がいろいろあるらしい。 兵庫県では、「テッペンカケタカ」と聞こえるそうである。 実によく通る声である。 ついでながら、我が家の近くでは、夜中や夜明け前にもこの声が聞こえる。 なぜだろう。 いずれにしても、初夏である。 いや、強い日差しはもう盛夏を感じさせる。
 槙の生垣  
めがね橋(白浜町)
野島崎
 10時に館山駅を出発して、途中のおにぎりタイムも含めて3時間半ほどで白浜町に入った。 間もなく、潮風なのか、いかにもこの先に海があることを感ずるところまで来ると、白浜の「めがね橋」である。 花畑とその農家の集落を抜けてやっと海岸に出た 房総半島の先端近くを横断したことになるが、そんなことよりも、まるで海を久しぶりに見たような、パッと気持が解きほぐされた感じがしておかしい。 いつもそうだが、突然海の景色が表れると、まずドキッとし、そのあと心が拡がるのを感ずるのである。
 殆んど刈り取られて、花畑の華やかさもなくなった道を歩いていたら、おじいさんから声を掛けられた。 「花ももうおしまいだ。良かったら持って行きなさいよ」と。 キンギョソウだ。 でも、今日もまだ日照りの中を歩かなければならないし、明日も1日歩く予定だ。 いただいても持って帰るわけにも行かないので、お礼を言って辞退した。
 今夜の宿に到着したが、時間に余裕があるのでそのまま通過して野島崎に足を伸ばした。 灯台のらせん階段で目を回し、さらに「朝日と夕陽が見える場所」なる岩で遊んだ。 
 宿は、大きすぎない和風旅館・紋屋で大変気持の良い造作ともてなしであった。 フロントの若女将が、「電話を下さればお迎えに行きましたのに」というから、「館山から歩いてきました」といったらとても驚き、フロントに出てきた若い男性二人に説明。 二人とも「ヒエーッ」。 「明日は千倉まで」、「前回は金谷から館山まで」というたびに「ヒエーッ」を連発。 部屋係の女性も、夕食の時の仲居さんにも伝わっていて、こちらが逆に驚いた。 南房総は歩く人が少ないのかもしれない。 危ないからか。
遠くに見えるのが野島崎灯台 チガヤ
千倉大橋付近で 
 雨具をしっかり準備したのに、2日ともカンカン照りであった。 汐の引いた岩場では天草とりであろうか女性が多い。もぐってアワビかサザエかをとっているらしい海女さんもかなりいる。 新鋭の手ぶれ防止機能つきの高倍率ズームのテストにはうってつけの景色である。 これらの写真はだいたい200mm望遠(35mm換算300mmの手持ち撮影である。といっても大幅にサイズ、解像度を下げているのでこの画面では分からないが、かなり効果はあるようだ。
千倉大橋の頂上
忽戸の漁港で
 白浜から千倉までは、旧道と新道・フラワーラインを、ときどき取替えながら歩いた。 千倉大橋は新道にあって、歩道も整っている。 かなり高いところに懸かっているから、なかなか眺めが良い。 数年前、仲間と行って食事をした道の駅、「千倉・潮風王国」も見える。 
 その道の駅で休憩することにして懸命に歩くが、ちっとも近づかない。
 
 やっとたどり着いたら、なんと「定休日」である。家内が体調を崩して二人のドクターのお世話になった店も、案内所もすべて無人である。 道の駅に定休日があるとは知らなかった。 トイレだけは開いていた。 家内は、そのときお世話になったトイレを懐かしんでいた。
         今回の記録
 

 カシミール計算  : 28.0km  1日目14.0km 
                     2日目14.0km

 歩数メーター   :
   館山駅-白浜
 2万4千757歩
   白浜-千倉駅 2万1千209歩
   自宅-自宅     5万2千歩
           
 2時半過ぎに、JR千倉駅に到着。 
駅は改築中で、無粋なプレハブの仮駅舎であった。 駅前にのぼりがはためいている。 平成18年3月20日南房総市誕生
と書かれている。 白浜町も千倉町も今は南房総市である。 歩いている時に、両方の町とも、「しかしここは白浜町だ」、「千倉だ」というプライドが感じられた。 いつまでもそうであって欲しいと願う。
 第2回目の房総ウォークが終わった。 歩いた道を帰りの車窓から見るのは楽しいのだが、今回は違う。 館山、千倉間は電車でたった11分しかかからない。 そこを、ずぅーっと遠回りして2日間かけて歩いてきたのだから。
 次回はいつになるか。 
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