善光寺宿から、新町宿、牟礼宿、古間宿、柏原宿を経て野尻宿へ |
昔の旅人のように、朝4時起きで出かけ、善光寺宿を8時半ごろには出発することができた。 古間、柏原宿を通り、野尻湖畔の野尻宿に向かう。 明日はいよいよ信越国境を越えて、越後入りである。 |
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野尻湖の君
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ついに、野尻湖に向かう。 人はどういうわけか湖にロマンを感じ、行ったことがない湖に憧れを感ずる。 今までに胸をときめかせて出かけた湖がいくつあったことだろう。 しかし、数十年間憧れていて、その名に神秘的な響き感じたまま、訪れる機会がなかったのが野尻湖である。 そこに、今回やっと行くことができる。 まさか歩いて行くとは思わなかったのだが。
昭和20年代後半の東京での中学生時代である。 焼け焦げた跡が残る小学校の講堂を間仕切りした仮教室や、別の小学校の校庭に建てた仮校舎の教室で授業を受けていた。 まだ戦災の跡が残るそんな時代に、先生方はよくぞ企画して下さった、と今思うのだが、夏休みに信州の野辺山高原で林間学校が開かれた。 1年生のときには、夏休みに入った日、学割をもらいに行って、校庭で転がってきたサッカーボールを蹴りそこなって手首を骨折してしまい、参加をキャンセルせざるを得なかった。だから、2年の夏がとても楽しみだった。
続けて3年生のときにも参加した。
この世には、こんな天国のようなところがあるのだと大きなショックを受ける驚きの世界だった。 一面に咲く高原の花や、澄み切った水が音を立てて流れる沢、どこまでも続く針葉樹の森、何とか登りきった八ヶ岳最高峰の赤岳からの眺望など、忘れえぬ光景である。 また、狭い蚕棚のようなベッドのシミだらけのせんべい布団での合宿生活を通しての、友達や先生との語らいはこの上ない貴重な経験となった。赤岳からの帰り、ひどい夕立に遭って、びしょ濡れとなった衣類を、女の子たちが洗って乾かしてくれた。 男女が口をきくことが殆どなかった頃だから、すごいことが起きているのだと思い、たいへん感動したものだった。 こうしたすばらしい思い出から、卒業後も八ヶ岳周辺には何度も出かけた、自分にとって、とても大切な高原である。
2年生のときであったか、3年生のときだったか思い出せないのであるが、その林間学校からの帰り、宿舎だった信州大学野辺山農場を出て、国鉄小海線の野辺山駅のプラットフォームで小渕沢行きの列車を待った。そのとき、1人だけ、反対側のホームで小諸行きの列車を待つ同級生がいた。列車を待つ間、こちら側の悪友たちからその男に盛んにひやかしの声がかかった。「野尻湖の君によろしくー」、などと。この林間学校が終わって、そのまま、別荘のある野尻湖に向かうということだった。この時代に、別荘など、別世界の話であるし、なんともロマンチックで、いったい「野尻湖」とはどんなところだろうと想像力をかきたてられたのであった。 蚕棚での同室の仲間との話題で、そこに、美しい人が待っているという話があったのかもしれない。 なんとも、うらやましくて仕方がなかった。
やがて、激しい音が聞こえてきた。急坂なので姿は見えないが、蒸気機関車のドラフトの音である。 我々とそのうらやましい彼とはこうして別れたのである。 C56は、左右両側の上方を切り落とした独特のスタイルである。小海線といえば、このC56である。 といっても有名になったのは後年の話であるが。 この林間学校の途中、飯盛山へのハイキングの帰りに清里から乗ったときには、客車と貨車を連結した混合列車であり、我々は、わざわざ屋根のない無蓋貨車に乗って、カッコーの声や沢を流れる水の音、風の音、そしてもちろんC56の蒸気の音を楽しんだ。
長年、野尻湖の名前を頭に焼き付けてくれた、その同級生、いや、クラスは違うから正しくは同期生なのだが、その彼とは、NHKアナウンサーで 「新日本紀行」
、大河ドラマ「草燃える」のナレーターや 「NHKニュースワイド」 初代キャスターを4年間担当し、フリーになってからもニュースキャスターを務めるなど、一世を風靡したTM君である。
彼の兄も評論家、哲学者として高名である。 だから、同期会では女性群の人気の的である。
この時代、何もなかったが、何もかもが美しく思い出される。 野尻湖は、その象徴の一つである。
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夏祭りであった。 善光寺から吉田あたりまでには、街道の雰囲気が残っていた
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素朴な格子と漆喰の二階が次々に現れる
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このあたりに、松代藩による吉田口留番所があり、越後筋や飯山筋から、この吉田を通過する荷を改めたという
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田子池
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茅葺き屋根をトタンで覆った姿は、今や農村の風景として溶け込んでいる。 さまざまな色があって、個性的である
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林檎の木々に囲まれた地蔵
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雪を乗せたように白い、茅葺き屋根の覆い。 近づいてみるとトタンではなく、モダンなアルミ製のようだ
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飯縄山
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左から 飯縄山、戸隠山(遠い)、黒姫山、妙高山、斑尾山 の 北信五岳
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黒姫山
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牟礼宿を過ぎて古間宿まで、山地に入る 「熊の糞を見たら引き返すこと」 、 「一人では歩かぬこと」 とある
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小古間の美しい田の向こうに黒姫と妙高ガ見えている
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小古間の地酒 「松尾」 の蔵元 野尻湖での夕食のとき、地酒を頼んだら松尾が出てきた
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小林一茶の旧居
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一茶終焉の土蔵
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黒姫山への落日
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ついに見えてきた野尻湖
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夕闇せまる野尻湖に到着 |
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