開始日時 | 2017/04/02 09:32:50 | 終了日時 | 2017/04/02 16:44:19 |
水平距離 | 23.04km | 沿面距離 | 23.07km |
経過時間 | 7時間11分29秒 | 移動時間 | 5時間28分15秒 |
全体平均速度 | 3.21km/h | 移動平均速度 | 4.13km/h |
最高速度 | 15.07km/h | 昇降量合計 | 238m |
総上昇量 | 79m | 総下降量 | 159m |
最高高度 | 362m | 最低高度 | 275m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 09:32:50 | 0.00km | 355m | ||
00:12:01 | 0.60km | 2.9km/h | ↑1m ↓0m | 0.17% | |
白河宿本陣跡 | 09:46:55 | 0.60km | 356m | ||
00:27:06 | 2.16km | 4.7km/h | ↑12m ↓21m | -0.42% | |
仙台藩戊辰戦没之碑 | 10:17:05 | 2.76km | 344m | ||
00:18:45 | 1.40km | 4.3km/h | ↑0m ↓12m | -0.86% | |
根田宿 | 10:39:25 | 4.15km | 331m | ||
00:44:03 | 3.17km | 4.3km/h | ↑22m ↓37m | -0.47% | |
小田川宿 | 11:32:26 | 7.32km | 316m | ||
01:10:42 | 4.64km | 3.8km/h | ↑10m ↓27m | -0.37% | |
踏瀬宿 | 13:34:56 | 11.96km | 299m | ||
00:37:49 | 2.54km | 3.9km/h | ↑21m ↓25m | -0.16% | |
大和久宿 | 14:21:43 | 14.50km | 294m | ||
00:17:27 | 1.26km | 4.1km/h | ↑2m ↓4m | -0.16% | |
中畑新田宿 | 14:50:02 | 15.76km | 291m | ||
00:18:38 | 1.17km | 3.7km/h | ↑0m ↓3m | -0.26% | |
矢吹宿 | 15:10:22 | 16.93km | 288m | ||
00:37:28 | 2.74km | 4.3km/h | ↑4m ↓8m | -0.15% | |
久来石宿 | 15:53:03 | 19.67km | 284m | ||
00:26:44 | 2.05km | 4.5km/h | ↑3m ↓9m | -0.29% | |
笠石宿 | 16:22:24 | 21.73km | 278m | ||
00:13:24 | 1.01km | 4.5km/h | ↑0m ↓2m | -0.20% | |
鏡石駅入口 | 16:36:06 | 22.73km | 277m | ||
00:04:08 | 0.34km | 4.9km/h | ↑0m ↓1m | -0.29% | |
GOAL | 16:44:19 | 23.07km | 275m |
2017/04/02 09:46:55
ここから奥州街道をスタート。五街道奥州道中は、この先の仙台藩戊辰戦没之碑が終点であり、そこまでは2年半前に歩いたので、ここは2回目である
2017/04/02 10:04:51
これから長いお付き合いとなる阿武隈川との最初の出会いである
2017/04/02 10:17:05
ここまでが五街道に指定されていて「奥州道中」の終点がここである。ここから先は「仙台・松前道」とか
「奥州街道」と呼ばれるが幕府の管理ではない
2017/04/02 10:20:32
戊辰戦争のときに悲劇の死を遂げた女性についての伝説を刻んだ石碑がある
2017/04/02 10:39:25
2017/04/02 12:23:57
ここを左折する青線の計画ルートが正しい
2017/04/02 11:06:54
旧道に近いルートとしてはこの道がよさそうだ。このバス停は国道に合流する地点である
2017/04/02 11:32:26
静かで立派な民家が散見される集落だが、宿場だった痕跡は見当たらない
2017/04/02 11:57:20
仙台伊達藩の藩士がこのあたりで女性を妖怪と思って切った。江戸からの帰りにここを通ると、石地蔵の首が転げ落ちていた、という
2017/04/02 12:07:17
「願い桜」と名がついている。つぼみ見物となったが・・。後で、この木の名付け親と出会う奇遇があった
2017/04/02 12:19:09
2017/04/02 13:14:24
道を間違えてここで国道に合流。ここで十割蕎麦をおいしく味わったが、道を間違えたことはまだ気づかず。ここのご主人が、先の常願寺の桜の名付け親だった。
2017/04/02 13:22:00
右の道の奥からこちらに向かって出てくるのが正解だった
2017/04/02 13:24:13
道を間違えたことに気付いたあと、この新池のそばを通り、やっと納得
2017/04/02 13:34:56
古い構えの家もあり、落ち着いた町並みである
2017/04/02 13:44:02
これも見事なしだれ桜である。咲いたら素晴らしいだろう
2017/04/02 13:51:07
奥州街道は、旧街道を思わせる遺構が乏しいが、松並木はあちらこちらに残って旅情をかきたててくれる
2017/04/02 14:10:23
戊辰戦争の際に、進撃する政府軍を防ぐための関門だったらしい。奪われた白河城(小峰城)を奪還するために奥州諸藩の兵が通過したようだ
2017/04/02 14:21:43
ここにも旧宿場を示すものは何もない
2017/04/02 14:29:25
今は、大和久と中畑新田の境であるここに移動されたらしい
2017/04/02 14:50:02
常陸街道が分岐する宿場だが遺構はなにもなさそうである
2017/04/02 14:53:06
水戸街道(常陸街道)への分岐点に建てられた常夜灯だった
2017/04/02 15:10:22
この反対側にあった古川屋が本陣跡らしいが、今は空き地になっている
2017/04/02 15:53:03
慶長期に民家を移して作られた宿場という
2017/04/02 16:22:24
この先の鏡石駅入口をこの日の終点とすることにした
2017/04/02 16:36:06
この日の終点である。明日、ここから再スタートする