伊豆トップページへ     前の日へ            home

旅日記-我ら青春の1ページ 伊豆半島一周    第8日      沼津-鳥取・東京
     昭和35年(1960年)3月18日 金曜日   晴のち曇       
                                     今日の地図

  いよいよきょうが最終日だ。 もう万年筆のインクもない。 それでも昨日帰るという緊急動議が、いつのまにか消えて、IKさんの家にゴヤッカイになってしまった。 意見が千変万化するのは、どこかの国の大臣そっくりだ。 几帳面なラッパ手は、きょうもみんなを七時に起こして、自からは再び甘き夢をむさぼってしまった。(*1) そうかと思うと身体のいたいのを理由にダダをこねている奴もいる。 鏡に向かって、一週間はえつづけたヒゲをなでまわしたり、おいてあったポマードをごく微量(*2)失敬して髪に伸ばしたり、洗面所は異常なほどのにぎわいである。(IKさんにインクをもらいました。)
  二階で三時間程、思い出話にふけっては、しのび笑いをしている。(*3)
好気心の強い人間はどうもいけない。 窓を開けようとしてカモイに頭をぶっつけてしまう。 脳ミソがはみだしたような音がするが、みんなが見ていたのでヤセガマンしてしまう。(*4) 
  一週間セルフサービスで来たので、お給仕されるとどうも妙な気がする。 ギコチない。 おカワリの仕方はお給仕する方もあんまりいい気持ちはしないだろうと申し訳なく思う。
  朝食後、IKさんの案内で千本浜へと出かける。 途中、患者の靴を買うが、彼はきょうは足がカユイといっている。
牧水の歌碑の前で記念撮影。 「幾山河 越さりゆかば さびしさの はてなむ国ぞ きょうも旅行く」 発句を「いくやまかわ」と読むか「いくさんが」と読むか議論するが、結局「いくやまかわ」になってしまう。(*5)
  いずれにせよこの歌をわれわれ四人はどのように読みとったであろうか。
  浜辺に出てしばし石ころと波にたわむれる。 静かな海だ。 ここにいては石廊崎にくだけちる波など想像もできない。 海に向かって右手に富士のすそ野が見える。 すそ野を見て全貌を頭にえがくのも、又別の面で趣がある。 まさに、美人のスカートからのぞく素足を見るが如し。(*6)
 IKさんの家に帰って昼食もご馳走になってしまう。 昼食を待つ間、誰かがオルガンをうならせて、新鮮なミカンをくさらせるのに貢献している。 夕べからミカンを大部食べている。 四人でお盆に一山あったのがもうなくなっている。 二時ごろ、又IKさんの案内で香貴山に登る。 わずか200m 程の山でも、見上げるとため息が出る。 しかし、100Km 前後を踏破した若者達は単純な坂道に満足せず、(しかも背中にニモツがないので)頂上まで直線コースをとる。 IKさんもまきぞえを食って四苦八苦。 それでも平地でブラブラ無駄にした時間を一気にばん回してしまう。 頂上でIKさんが奇声を発する。 “ああっ。頂上がうまっちゃった”(*7) 近くに三五教(アナナイ教)のお城がそびえたつ。 入城料をとられるのではないかと、初めは尻ごみするが、靴をぬぐ必要のないところはタダとわかったので、元気よく石段をのぼる。 途中にサルのオリがある。 たった一匹しか入っていないが、波勝崎で会えなかったので、みんな飢えたようにからかっている。 ここでもミカンをいただく。(*8) 香陵台に下る途中,大原、わき道にそれて、ちょっと迷い子になってしまう。 その間一人で何をしていたかわからない。(*9) 香陵台から沼津全市が見わたせる。大きい!そして東京はさらに大きく、騒々しい。(*10)
  雨にぬれながら遠笠山に登ったのは、ずうっと昔のことのように思える。 反面、この八日間のすぎさるのは何と早かったことか! 楽しかった。 ほんとうに楽しかった。 目に見える成果はないにしても、我々四人は各々得るものがあったにちがいない。 痛む足を笑顔で我慢した大原、重い靴をはきとおした水島、カメラに神経をすりへらした升谷、そして、登り道でもガンバッタつもりの服部、みんな楽しい仲間達だ。
伊豆のみなさん、ありがとう。 伊豆のみなさん、さようなら。

<香陵台以後補充> 
沼津のラーメン 50円。 味、上の下(フナバシクラス)
IK さんの見送り最高。
駅のアイスクリーム、半分とけていた。(世相のせいでしょう)
  蛇足: 四人の友情よ 永遠なれ!                                                     
この八日間、全く楽しかった。 美しい伊豆。 
平和な静かな伊豆。 そして素朴な伊豆。 
伊豆がこんなに魅力にあふれたところであろうとは。 
また行きます(*11)
きっと行きます。 
中木のフランキー堺にも。 小浦のエビのオッサンの所にも。
伊豆にもやがて汽車が走り、海岸線をバスが一周するだろう。
でも、
いつまでも平和な静かな伊豆であってほしいと思うのは、
我々だけではないはずだ。    



       今、読み返して多少恥しくなる程感傷的であっても、決して書き直すな!   
       諸君にも案外そういう一面があるのだということを知るべきだし、大切にすべきだ。
       とにかく立派に会計、いや、ケチの役を果たした服部、
               上手にうまくカメラをノゾイた升谷、
       黙々と食物供給の任を果した水島(*12)
、三君にお礼をいう。 
               ありがとう。 
        そしてついに何もやらなかった自分にいう。  気をつけろ!
       今後もあのチームワーク、いやフレンドシップは決して忘れまい。

<日記ページへの当時の落書き>
 *1
<無理もない。昨夜は三人の寝言を聞くまで起きていたのだもの>
 *2
<オソルオソル>
 *3
<実さいつらかったよね>
 *4 <ドウモゴクロウ>
 *5
<信用のある人は強いネ。発することば 全て信用してくれる。><あんまりのぼせるな。議論してもムダな奴とはギロンしないことにしている>
 *6 <オチタネ。例外としてこういう男もいたということ。>
 *7 <重量のためではないのです。決して>
 *8 <サルより低級な食べ方をした男、服部、大原、水島、以上3名。升谷は観察する間もなく胃の中>
 *9 
<わからなかったら聞きにオイデ>
 *10
<同感!>
 *11
<彼女と一緒に>
 *12 <うそ言え>

                                  今日の地図

伊豆トップページへ     前の日へ               home