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礼文・利尻の花を訪ねて  (4) あの崖
  
転がり落ちた崖
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 58年前のあの家、転がり落ちた崖はどこだろう、と探るのも今回の旅の目的のひとつであった。 どうやら、記憶にある地形や学校の位置から、今回宿泊した香深のホテルにほど近い東海岸ではないかと思われた。 3日目に、スコトン岬に行くバスの最後部から観察し、さらに最終日である4日目の朝、散歩しながら確認したところである。 もちろん、道路や建物が出来て、それに何よりも浜に引き上げられていた漁船が、いまでは小さいなりに漁港あるいは船だまりがあちこちに出来ていて、すっかり景色が変わってしまっているから確証もない。 バスの窓から入り口しか見ることができなかった小学校が、記憶の地形に似ていたが、これも間違っているかもしれない。 しかし、それでも良い。
 礼文島を、香深港を、去るとき島は深い霧に覆われていた。 たちまち、段丘も海岸もかすんでしまった。 そっと胸に手を当てて別れをいう。

                             58年前とは?



変化は12年前のフェリー大型化で始まった
 再来年、礼文島の礼文町と利尻島の利尻町および利尻富士町の3町が合併することになっているそうだ。 調べてみると、当初、稚内市を含む合併構想もあったようだ。 3つの町が合併して「市」になるのかを聞いたら、「市」になるには人口が1万人以上であることが必要だが、3つの町あわせても9千人代で足らないのだそうである。宮本さんのお話によれば、夏の間、アルバイトで入ってくる人たちは1000人にもなるそうである。 住民登録を条件に採用したら「市」になれるのに、ということである。 今、老齢化社会になり、福祉などの財政問題から大切な観光事業のいっそうの発展や各種の行政上の優遇措置を期待しなければならないわけだ。 ちなみに、利尻島のバスガイドさんの話であるが、コンビニは利尻島に3軒、礼文島に1軒。 交通信号機は利尻に9ヵ所、礼文に2ヵ所、うち1ヵ所は小学校前にあって、教育用とのこと。
  同時に、自然の破壊への対策にも苦慮しているという。 そもそも、静かだったこの島に観光客が押し寄せるようになったのは十数年前にフェリーが大型化した時からだそうである。  例えば、我々が歩いた林道には、今もクルマの乗り入れが可能である。 いろいろ論議されているようだ。 大切な観光客ではあるが、フェリーで来たクルマやレンタカーが貴重な植物群の真っ只中に、いとも簡単に入ってくる。 レブンウスユキソウや他の高山植物群生地のすぐそばである。 近くで見るために踏み込んで靴で削られてしまったと思われるころなどもみかける。 誰でも、例えば車椅子でも楽しむことが出来る場所の確保とともに、歩くことだけが許される場所、一切はいることの出来ない場所の仕分けなど、かなりきめ細かな対策が必要だろう。 現在も多くのボランティアの方々の努力に支えられて美しい自然が維持されている。
  今回歩いたコースには、レブンウスユキソウの群生地が何箇所かあった。 いずれも、歩道を仕切るための細いロープが張られていたが、そのロープの内側の通路部分にもウスユキソウなどの可憐な花が咲いていた。 踏まないように、一歩一歩確かめながら足を下ろさなければならないところも数ヶ所あった。 今回の歩行距離合計33.18km、4万7千79歩のうちのほんのわずかな部分ではあるが。 

  
エゾカンゾウ ハマナス が一面に咲く サロベツの浜    小さな写真のクリックで大きな画像が出ます
ネムロコウホネ
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サロベツの浜 稚内公園の トキシラズ  
稚内公園の氷雪の門と公園から見た稚内の街  そして稚内駅
  稚内駅はNHKの「片道切符の旅」の始発駅である。  ちょうどこの日、関口さんは九州の終着駅に到着。  逆に、我々の旅はここで終った。

  長年の夢が実現した旅であった。 満ち足りた気持ちである。 しかし、もう一度、と思う。 今度は、もっとゆっくり、しかももっとたっぷり歩いて楽しみ、そして東海岸を自転車で走ってもう一度昔の記憶を確かめたいものである。
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