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西馬音内盆踊り


西馬音内(にしもない)のある羽後町は、秋田県南部にあって山形県境に近い。
西南西30kmには鳥海山がそびえる。3分の2が出羽丘陵に属する山地で占められるが、低地は横手盆地に属し、西馬音内もその扇状地にある。
まわりを田圃に囲まれた豊かな穀倉地帯にある人口一万9千人あまりの静かな町である。

「にしもない」とは「雲の湧き出る谷」という意味のアイヌ語だそうだ。 この町に伝わる文化の中で、その歴史の一点を担っていると意識せざるを得ない、と語って自ら伝統を守る喜びを誇る人たちの町である。
西馬音内(にしもない)盆踊りは、七百年間踊り継がれたといわれ、歴史と文化を感じさせる味わい深い行事である。踊る農民の素朴さが土の臭いを感じさせる多くの盆踊りとは全く異なり、その昔交流のあった都への憧れが凝った結果との説もある優美で優雅な踊りである。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
幻想的な黒い覆面のひこさ頭巾姿と端縫い(ハヌイ)衣装の編み笠姿はこの上なく美しい対照である。
会場のほぼ中央にあって、五穀豊穣と豊年満作とかかれた灯篭がかけられた特設櫓では、笛、大太鼓、小太鼓、三味線、鼓、鉦に唄い手が加わったお囃子が、ひなびた中で華やかな情緒をただよわせて奏され、踊りを引き立てる。


 2003年8月17日    以下の、このページのすべての写真は、クリックすると大きな画像をご覧いただけます

この西馬音内盆踊りを知ったのはつい最近である。 偶然、チラッと見た映像に衝撃を受けた。 読むことが難しいが、その文字と読みに不思議な魅力のある「西馬音内」という地名を手がかりに調べた。 そして、これはただものではなさそうだと思い、この遠くて便利とはいえそうにもないところへいったいどのようなルートで行くのだろうかと戸惑ってしまった。 この盆踊りは毎年8月16日から18日までとされていて、もう今年の祭りまであまり時間がなかった。 まだ知る人の少ない行事であって、あの越中おわら風の盆のような喧騒の世界には、まだなっていないはずだと期待し、逆にそうであれば行き着くのも大変だろうと想像したのであった。 ところがそうではなかった。 この数年、評判が広がって年々倍増の勢いで全国から人が集まりつつあるのだそうだ。 前日の津軽の黒石よされ祭りとあわせて、この西馬音内の素晴らしい踊りを見ることができた。

田圃に囲まれた町に車が入って行くがほとんど人を見かけない。 本当に祭りがあるんだろうか。 しかし、戸を開け放った室内に端縫いの衣装を飾って、通る人に披露する家がボツボツ見えてきたし、浴衣がけの若い女性も姿もちらほら見える。 駐車場からしばらく歩き、西馬音内川の二万石橋を渡って会場となる本町通りに近づくころには沢山の人が集まってきている。 風の盆で八尾町の井田川を渡ったときの興奮を思い出す。
本町通りはすでにいっぱいである。 囃子方の若い衆が威勢良く寄せ太鼓を打ち始めている特設櫓の前を抜けて、もぐり込めそうな観覧場所を探す。
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日が落ちていよいよ始まる。かがり火が勢いよく燃える。 お囃子は音頭に変わった。 編み笠姿の踊り手がひこさ(彦三)頭巾姿の若い女性を率いて踊っている。 親御さんが付き添ったかわいい踊り手も多い。 音頭の歌詞は小さい子向けとはいえないユーモラスでエロティックな内容だ。 大きくなってから、耳にこびりついた歌の意味がわかって苦笑するのだろう。
次第に踊り手が増えてきた。 ひこさ頭巾姿だけでなく編み笠姿の踊り手も笠を深くかぶっているのでまったく顔を見ることが出来ない。 美人なのか、若いのかは、うなじや手指から推し量るしかない。 音頭やがんけ(甚句)の歌詞にも、このあたりの機微を楽しんだくだりがある。  女性の優美さを、顔かたちなどの要素をはずして、体や手の仕草と指先だけで表現する美しさを追求していって、このような衣装や笠のかぶり方を考え出したのだろうか。 風の盆では編み笠はこれほど深くかぶらなかったから、努力すれば美しい顔を覗くことが出来たのだが。
そもそも、この西馬音内盆踊りの起源は定かではないが、豊年祈願と戦国末期に山形の最上氏に亡ぼされた西馬音内城主小野寺氏の供養の踊りが合体したものとの説が有力のようだ。 幻想的な黒い覆面のひこさ頭巾はこの供養のための亡者踊りの流れを残しているとも云われる。
妖艶な雰囲気はこのひこさ頭巾と端縫い衣装の美しい対照がかもし出しているようだ。 この端縫い衣装は、母や祖母の思い出のつまった絹の小布や半端な布を捨てずに、思い思いに縫い上げたもので、代々受け継がれているという。 8月の第1日曜日には、この西馬音内盆踊りに使う衣装を持つ家々が一斉に藍染と端縫いの衣装を展示して、町がひとつの美術館のようになるそうだ。 端縫い衣装の図柄と配色は伝統的な美しさだけでなく、ハッとするようなモダンとも云える新鮮さを持っている。 かがり火に映える端縫い衣装は、この妖艶な踊りに似つかわしくないほど賑やかで勇ましい野性的なお囃子ともモダンな対照の美を表しているようだ。 
夜がふけていつの間にか踊りの列から子ども達が消えていた。 別世界になっていた。 お囃子もがんけ(甚句)に変わり、哀調が漂って踊りの列も流麗な動きになっていた。 すっかり引き込まれていた。 
そして、どんどん時間が過ぎて、立ち去りがたい思い、もっと浸っていたい思いを振り切って本町通りを離れざるを得ない時刻になってしまった。
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駐車場に戻ると大型バスが60台以上に増えていた。 前日の土曜日にはなんと6万人の人出だったと聞いた。本町通りの踊りの会場部分は長さ300mという。 単純計算をすると片側1mに100人ということになる。 少なくとも日曜日の今日はそれほど多いとは思えない。 会期全体の人出と聞き間違えたのかもしれない。15年前になる平成元年の八尾風の盆よりはずっと混雑しているが、平成12年に再訪してあまりの混雑に驚いた時の風の盆よりは混雑が少ない、といったところだろう。 羽後町では、一旦返上した過疎地域の指定が、その後人口減少が続いて平成12年に再度指定を受けたとのこと。 活性化のために、この盆踊りへの見物客は歓迎されているようだが、八尾のような混雑、混乱はとても残念だし、何よりも町の方々自身が楽しむための踊りが妨げられて迷惑するのではないかと心配である。 おわら風の盆の稿(リンク)でも書いたが、このページのように、我々のようなよそ者が、素晴らしさを宣伝するからいけないのだ。 だから、このページをご覧いただいた方には、この踊りの素晴らしさをご内分にしていただくようお願いしたいのである。


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