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masutaniのページ : 腹の出た年輪の物語

黒石よされ

地元の人たちも久し振りに見たという津軽富士(岩木山)が全貌を現して刻々その姿を変えてゆく。弘前から2〜30分のところにある黒石市からもその岩木山を望むことができる。
黒石市は青森県のほぼ中央に位置し、弘前藩から分知した城下町として南津軽の経済と文化の中心であった。今は古いたたずまいを残す町並みとりんごや黒石よされで知られる町である
黒石よされは日本三大流し踊りとされ、「エッチャホー、エッチャホー」の掛け声のもと、3千人もの踊り手が街を流す。その踊りは何といっても日本の道百選に選ばれている伝統的建造物の中町通り「こみせ」を背景とするところが魅力である。「こみせ」は藩政時代から残るアーケード状の通路で、吹雪や積雪、そして夏の暑さから人を守るためになくてはならなかったものだった。当時の住宅などとともにこれだけまとまった形で残されているのは全国的にも類例がないとのこと。

     2003年8月16日    下の写真上をクリックすると大きな画像が出ます

 
 この6月には雲に隠れていてとうとう見ることのできなかった岩木山が目の前に現れている。 そもそも、弘前の町に入るのも初めてである。 いつも、品川のバスターミナルからの弘前行きの夜行バスの案内を横目で眺めて、いつかそのバスに衝動的に飛び乗って 見たいと思っていたのだった。 そんな大胆な旅ではないが、やっと来ることができた町である。 東京を午前11時近くに出て、こんな遠いところまでもう来ている。
どうしても昔の汽車の旅の感覚から抜けられないから、とても不思議である。

 弘前の宿で早い夕食を済ませてから、まだ夕陽の残る黒石に着く。 
     
よされ見物の作戦を立てながら「こみせ」の町を散策する。 途中、レトロな消防小屋  を見つけた。 あとで大正9年建設の建物と知る。 中の消防車もかなりの年代物のようである。 現役だから、もちろん大正時代のものではないだろうが。 「こみせ」だけでなく、この町では古い財産を大切にしているようである。 古いものを大切に残しても町として機能して行けること、現代の生活ができることを示してくれているようだ。
 「こみせ」は「小見世」と書く。 新潟地方でいう「がんぎ」と機能的には同じだろう。 しかし、道路側に板を立てて雪の侵入を防ぐ構造になっているから、独立した通路が確保されていることになる。 昔はこの通路の明かりをどのように確保したのだろうか。
冬以外はその板ははずされている。 今、その通路から踊りの列を見ることになる。 「こみせ」と道路の間に水が流れる溝がある。 きれいな水がかなりの勢いで流れている。 恐らく雪流し水だと思うが、その側溝に設けられている段差を利用して腰かけると誠に具合が良い。 みな、そうして踊りが始まるのを待っている。 大きな杉球をぶら下げた立派な造り酒屋さんや呉服店など、見事に昔のままの雰囲気を残している。 国の重要文化財である高橋家住宅は、夕刻だからすでに閉じられていて残念ながら見ることはできないが、「こみせ」との調和は見事で、さすがに日本の道百選に選ばれるだけの価値がある。 祭りのちょうちんに照らされた光景は、まさにタイムスリップの世界である。
 流し踊りの舞台として、これ以上のところは少ないであろう。 どうやら、押し合いへしあいせずに、踊りの列とともに、あるいは踊りの列を迎えるような方向に歩きながら楽しむことができそうである。 
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踊りが始まる前に、踊りの列が流れる通りを半周して下見した。 いろいろな連(とは言わないようだが)が準備中である。 町内会や市役所チーム、踊りの仲間チームに陸上自衛隊チームなど。  自衛隊チームはあの八甲田の雪中行軍で成功した弘前連隊の後輩達だろうか。 装いがユニークなチームがある。 ニューバージョンと言って新しい振り付けで踊るチームで先ほどのコンテストに入賞したチームのようだ。 子ども達のチームもある。 全部で3000人の踊りだそうだ。
いよいよ始まった。 エッチャホー、エッチャホーの掛け声も踊りも元気が良いのは自衛隊チームだ。 年季の入った女性チームの踊りはさすがになめらかだ。
この祭りの起源は、500〜600年前だが、約200年前の天明の頃に家老が農村から城下町に人を集めて商工振興をはかるために力を入れてから盛んになったと言われているそうだ。 お囃子は、つつみ、太鼓、三味線などで、西馬音内の都を感じさせる優雅な盆踊りとはちがって、素朴で元気な庶民的踊りといえるようだ。
踊りの列はときおり、呼びかけられた観客も加わった踊りの輪となる。 これを楽しみに来ている人も多いようだ。 
「よされ」の語源の定説はなく、一説には「豊作のときには仕事をよして楽しく踊りなされ、凶作の時は、このような世は去れ、という。 他にもいくつかの説があるとのこと。 津軽三味線の定番である津軽民謡「津軽よされ節」の「よされ」は、かつての津軽地方できわめて深刻だった時代の暮らしの中での「人減らし」のニュアンスがあると聞いた。 これに通ずる部分があるのかないのか。 今年は、冷害で稲の出来が心配されている。 繰り返された冷害の被害に稲作の技術も上がって、かつてのような惨状に見舞われることはそうそうないという。 先日会った農学系の教授によると、今年のような年に各農家の技術の差が非常にはっきり出るのだそうだ。 
豊年満作を願う盆踊りである。 その祈りがぜひとも通じて欲しい。 今、このよされ祭りは底抜けに明るい。 きっと、明るく収穫の時を迎えることが出来るであろう。

素晴らしい町並みを舞台に踊られる盆踊りであるが、どうやらこの黒石よされは、見る踊りではなくて自ら踊る踊りのようだ。 輪の中に飛び込んで共に楽しむ踊りなんだろう。 カメラなんぞ誰かに預けてしまうべきだったのだ。
 


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