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台湾の心

若干、緊張して出発した。
初めての台湾旅行であることも理由のひとつである。
しかし、他に理由があった。

旅の途中、やはり大陸と較べてしまった。 ひとことで言えば、台湾は大陸よりも日本に似ているとの印象であった。
大正や昭和初期のころの懐かしい建物がまだ残っていたこともある。 駅に止まっている貨物列車が、形式表示にトラとかワムなどと書いてあるのではないかと錯覚するほど懐かしい黒い貨車だったこともある。 しかし、言いたいのはそのことではない。 人々の表情や、気持のことである。 穏やかである。 若者の表情はたいへん静かで、荒んでいない。 電車に乗るとすぐに席を譲ってくれた。 よき時代の日本である。 

かなりのお年寄りならば、日本語がわかると聞いていた。 しかし、果物を売る夜店で思いがけずおばあさんから日本語を聞くと、ことばが通ずる嬉しさもあるが、それだけではない感情がこみ上げてきて落涙しそうになった。 しかし、ことばが通じない人たち、若者も、中高年の方々も、だれもが大変親切で、穏やかで、好意を寄せてくれたように思えた。  いずれかの時期に大陸から渡ってきたであろう人たちだけではない。 外見からだが、もともと先祖がこの地にいたと思われるお年寄りもそうであった。 我々が瑞芳のプラットホームで電車を待っているときから、台北行きに乗換える八堵駅までの間に示してくれたそのお年寄りの厚意は、忘れられないシーンとなった。 八堵で我々と別れたあと、基隆へ帰宅するとのことであった。 閉まった電車のドアに駆け寄って懸命に手を振ってくれた。

自分の中で気持がつながってきた。
実は出発直前に、ある程度緊張をほぐしてくれたのは、司馬遼太郎の台湾紀行(朝日文庫 街道を行くシリーズ第40巻)であった。 許されるべきではない「国内」の時代があった歴史の中で、しかし、教育や多くの社会インフラ整備に、乏しい財力の中で莫大な資金を投入し、第一級の人材を送って全力投球した成果がこの国の現在の力に役立っていることを知ったからである。 当時の日本は、いい格好をして見せたかったに違いない、と本の中で李登輝さん(当時総統)と司馬さんはいうのだが。
しかし、そのことよりもさらに、当時の日本人の素晴らしき心がこの国に伝わり、今、それが日本よりも濃厚に残っていることを知ったからである。 その心を大切にし、このことを誇りに思って下さる台湾の人たちがいることを知ったからである。 台湾の心である。

いうまでもなく、亡き恩師あってのことである。 しかし、今回、Rさんご夫妻がこれほどまで私たちを大切にしてくださること、手厚く歓待してくだることが途方もないことのように思えて、出発前に緊張したのだった。 
旅を終えた今、Rさんご夫妻のお気持が、まさに台湾の心である、と思ったのである。 いや、確信したのである。 

終わってみると、いろいろ考え、いろいろ感じた旅であった。
同窓会だけでなく、町でも、鉄道でも、台湾の心に触れて、これを実感する旅であった。
感動しながら、名前が変わったばかりという桃園国際空港を飛び立った。    

                                     ―- 2006・11・26  ますたに・まさひろ

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