幻の甲府道祖神祭り
        
 
  歌川広重による甲府道祖神祭りの幕絵 山梨県立博物館所蔵 (甲府市HPより)

                    幻の甲府道祖神祭りとは

 今回の出発点である甲府柳町の本陣跡付近の交差点に立ち、これから歩く方向を眺めた。店が並ぶ 何の変哲もないバス通りで、宿場の雰囲気はまったく残っていないが、170年前の小正月の日を想像した。この道の両側に大きな幕絵が 張り巡らされた賑やかな祭りがあったのだ。今、それを説明する表示は見当たらないが、その祭りとは「甲府道祖神祭り」である。甲府に近づくころ知って、この祭りがとても気になっていたのである。正月14日の祭りの日、甲府城下町の八日町、柳町、緑町などの目抜き通り
 
 現在の甲府市中央町
(旧甲府柳町)
の両側に、長さ約10.6メール、高さ1.6メートルの麻布に描かれた幕絵がずらりと張られたという。その数は合計で数百枚というから大規模である。町内ごとに絵師と画題が選ばれ、各町20から40枚ずつ、ちなみに今回歩いた旧柳町(現在の中央町の一部)には、両側に東海道五十三次の宿場が描かれた幕が貼られたというから壮観だったであろう。

 その幕絵の絵師の一人があの歌川広重であり、旧緑町に11枚描いたといわれる。招かれて、その絵を描くために甲府に滞在したのだが、その旅を綴ったスケッチと日記が「甲府日記」で、これも当時の甲州街道を知るための貴重な資料となっている。その甲府日記やこの祭りの調査研究が山梨県立美術館でなされ、その報告書があると聞き、また広重の描いたその幕絵の一枚が展示されているとも聞いて、前回の甲州街道歩きの途中、時間をつくって石和にある山梨県立博物館を訪ねてみた。広重の幕絵「東都名所 目黒不動之瀧」(展示は複製)は想像以上に大きて迫力があった。また、幕絵を張った祭りの様子を再現したジオラマもあって、雰囲気がわかって興味深い。幕絵が貼られた町の辻に「オヤマ」と呼ばれる色彩豊かに飾られた神木も飾られていたようだ。幸運にも、研究報告書「歌川広重の甲州日記と甲府道祖神祭」のコピーをわけてもらえることになった。この祭りはなぜか明治政府によって禁止されて今はない。幕絵もほとんどが処分されてしまい、今、確認されている幕絵はわずか3枚という。この甲府道祖神祭りの歴史は古いようだが、こうした幕絵を張るようになったのは、広重が描いた天保12年(1841年)の翌年からではないかといわれる。飢饉に発する天保騒動が大騒動に発展するなど、不安定、不穏な時期で、甲府は人口が減って活気がない町になったため、再繁栄を願う城下商人の願いがこめられて行われたと考えられているようだ。

 ということで、幻の甲府道祖神祭りの様子は知ることができた。しかし、疑問はまだ解決しない。甲州街道沿いのあちこちに並ぶ、古代に起源を持つ可能性があるという実に素朴な道祖神と、この賑やかな祭りのイメージが依然として結びつかないのである。そこで、さらに調べてみた。

                道祖神祭りは、今も身近にある

 どうやら、道祖神祭りは全国に広く分布しているらしい。ほとんどは祭りそのものも道祖神同様、素朴だったらしい。なるほどと思ったのは、これまで道祖神祭りとの結びつきに気づかなかったが、小正月の火まつりである。「どんと祭り」、「どんど祭り」とよばれ、三浦半島の北下浦海岸などでは「おんべ焼(御幣焼)」とよばれる、門松やしめ飾りを燃やし、餅や団子を焼くという行事である。この火まつりは、関東以東とくに関東西部の神奈川県、山梨県では道祖神まつりと結びついているのだという。これらの多くは今も続く素朴な行事である。大磯町の「左義長」は有名で、
国指定の重要無形民俗文化財だが、サエノカミ(道祖神の別名)の火祭りで、まさに道祖神祭りなのである。こうした小正月の火まつりでは、道祖神の丸石が火の中に投げ込まれる(横須賀市、静岡県富士宮市)とか、藁で作った小屋(オカリヤ)で子どもたちがどんと焼きを待ち、そして小屋に火をつける、あるいはその小屋に藁でつくった大きな男根を突き出させる、などいろいろなバリエーションがあって面白い。信長も参加したという近江八幡の有名な「左義長」も、同様にもとは小正月に行われていた道祖神祭りだったという。いずれも不思議な行事であり、風習であるが、このように小正月の火まつりの行事が道祖神の信仰と結びついたのは、厄神送りの要素を共通して持っていたためであるらしい。西関東では「コト八日」(一つ目小僧等の妖怪が現れる)と呼ばれる風習ともつながりがあるという。
 
三浦半島・長沢海岸にて
「おんべ焼」の前日風景

 これで分かったような気がした。地域の伝統や風土などによって、本来素朴だった祭りがそれぞれの土地なりに、様々な形に変化したり、成長したのだ。もちろん消滅してしまった祭りも多いだろう。「甲府道祖神祭」は、そうした中で、伝統は保ちつつも、当時の城下町でのニーズもあって、幕絵の導入などで、当時の世の中でも最大級に派手で、賑やかな祭りに変身させていたのかもしれない。あの素朴な道祖神が主役の祭が、いろいろな形で引き継がれていることは興味深いことである

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<参考資料>
 ・中沢 厚:山梨県の道祖神、有峰書店
 ・大島建彦:神奈川の民俗、神奈川県史研究33(1977)
 ・山梨県立博物館 調査・研究報告書3「歌川広重の甲州日記と甲府道祖神祭」調査研究報告書
 ・山梨県立博物館 常設展示案内