開始日時 | 2013/03/19 08:04:21 | 終了日時 | 2013/03/19 14:23:22 |
水平距離 | 19.75km | 沿面距離 | 19.76km |
経過時間 | 6時間19分01秒 | 移動時間 | 4時間58分47秒 |
全体平均速度 | 3.13km/h | 移動平均速度 | 3.83km/h |
最高速度 | 46.73km/h | 昇降量合計 | 98m |
総上昇量 | 61m | 総下降量 | 37m |
最高高度 | 38m | 最低高度 | 8m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
---|---|---|---|---|---|
START | 08:04:21 | 0.00km | 8m | ||
00:06:40 | 0.57km | 5.0km/h | ↑1m ↓0m | 0.18% | |
荒井一里塚から再スタート | 08:11:54 | 0.57km | 9m | ||
00:32:30 | 1.97km | 3.5km/h | ↑0m ↓0m | 0.00% | |
浅水宿本陣跡 | 08:52:39 | 2.54km | 10m | ||
01:30:02 | 5.69km | 3.7km/h | ↑19m ↓7m | 0.21% | |
水落宿場跡 | 10:44:55 | 8.23km | 22m | ||
01:15:43 | 5.58km | 4.2km/h | ↑24m ↓25m | -0.02% | |
上鯖江宿 | 12:32:41 | 13.81km | 22m | ||
01:13:33 | 4.74km | 3.8km/h | ↑13m ↓1m | 0.25% | |
武生宿札ノ辻付近:終点 | 13:59:51 | 18.55km | 34m | ||
00:20:19 | 1.21km | 3.5km/h | ↑0m ↓2m | -0.16% | |
GOAL | 14:23:22 | 19.76km | 32m |
2013/03/19 08:11:54
風雨が強かったため、前日はウォークを中止してバスで永平寺と丸岡城を訪ねた。だから、一日をおいての再スタートとなった
2013/03/19 08:18:39
今、梅の季節である
2013/03/19 08:31:10
2013/03/19 08:37:28
浅水(あそうず)に近づくと、切妻の見事な家々が次々に登場する。写真を撮るのに忙しくて先に進めない。福井県が豊かさ日本一、幸福度日本一であることを実感できる地域である
2013/03/19 08:52:39
旧北陸道で、宿場の本陣跡が表示されいるところは極めて少ない。だからこの標識に出会うことはうれしい。伝統的で立派な家々の多いこの宿場町のファンになった。
2013/03/19 08:55:24
見落としそうな、小さな橋である。感慨を催す景色でもない。しかし、清少納言は枕草子で「橋はあさむつの橋」と、とりあげ、藤原定家、芭蕉らの歌や句に詠まれた名所である
2013/03/19 09:18:46
加賀、越前、美濃の山岳信仰の山、白山を開いたといわれる泰澄が生まれた
2013/03/19 09:49:31
このあたりを一里塚町と呼んだという
2013/03/19 09:56:45
赤瓦の門があると手造りマップに書いておきながら、見落としてしまい、しばらく歩いてから、あわてて戻って見直した。見落とすのも当然なほど、黒く変色していた。越前の赤瓦は、ヨーロッパと同じで変色しやすいようだ
2013/03/19 10:01:45
「北国街道」や「北陸道」の表示が、若干だが出てくるようになった。
2013/03/19 10:21:34
直径60メートルの円墳。五世紀代後半のものか。上に社殿が建っている
2013/03/19 10:44:55
石碑が建っている。清水家がつとめた本陣跡なのかもしれない。町は立派な木組の切妻や黒漆喰の壁などの立派な町家が多く、落ちついた町である
2013/03/19 11:14:21
袖壁の建物群の旧道からいきなり電柱のないモダンな広い通りに出た
2013/03/19 12:10:43
越後村上藩主、間部詮言が転封を命ぜられて鯖江藩が成立したという
2013/03/19 12:32:41
上鯖江宿を残す何ものもないため、付近の交差点をチェックポイントとした。写真はその近くの風景である
2013/03/19 12:41:41
日野川を渡る北陸道唯一の橋である。名の由来は、継体天皇がらみだったり、妖女伝説などがあるようだ。隣に福井鉄道の橋もあり、路面電車が渡っていた
2013/03/19 13:09:30
2013/03/19 13:10:43
府中(武生から流れる御清水川が柳原を経て日野川に注ぐ。一里塚の近くに小舟専用の船だまりがあった。陸路と水路の要地で、茶屋や料亭がの軒を並べて賑やかで、「しんこだんご」が名物だったという
2013/03/19 13:27:22
旧道から入った奥に祠が建ち、女性が熱心にお参りしていた。今なおこんこんと湧きでる水は「南越清水 瓜割の水」とされ、病気に聞くと信じられ、甘露な味が「極楽の一滴」とか
2013/03/19 13:32:58
難しい読み方である。変遷があって、この福井鉄道の駅名も、西武生から変わった。ノスタルジックな駅舎である
2013/03/19 13:45:08
見事な黒瓦の大屋根を持つ町家が並び、見ていてあきない。美しい町である
2013/03/19 13:59:51
ここをもって今回の終点とした。帰りの特急を待つ間、もう少し美しい武生の町を散策する
2013/03/19 14:02:37
蔵の並ぶ街をモダンに改装してオープンスペースをつくったようだ。
2013/03/19 14:10:01
かつての「越(こし)の国」は敦賀から新潟以遠におよぶ広い範囲であった。その後、7世紀末に越前、越中、越後の三国に分割されたが、加賀、能登は越前に含まれていた。紫式部の父は越前国司としてこの武生に赴任し、紫式部も1年ほど滞在し、都を思う歌などが詠まれた