開始日時 | 2012/05/30 06:36:01 | 終了日時 | 2012/05/30 16:11:23 |
水平距離 | 33.81km | 沿面距離 | 34.40km |
経過時間 | 9時間35分22秒 | 移動時間 | 8時間03分14秒 |
全体平均速度 | 3.59km/h | 移動平均速度 | 4.22km/h |
最高速度 | 28.89km/h | 昇降量合計 | 1655m |
総上昇量 | 821m | 総下降量 | 834m |
最高高度 | 30m | 最低高度 | -392m |
地点名 | 通過時刻 移動時間 | 積算距離 区間距離 | 平均速度 | 標高 獲得標高 | 平均勾配 |
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START | 06:36:01 | 0.00km | 16m | ||
00:12:23 | 0.99km | 4.7km/h | ↑8m ↓7m | 0.10% | |
柏野-スタート | 06:48:42 | 0.99km | 19m | ||
01:26:07 | 6.40km | 4.4km/h | ↑59m ↓67m | -0.13% | |
粟生宿 | 08:28:59 | 7.39km | 11m | ||
00:40:03 | 2.84km | 4.1km/h | ↑33m ↓48m | -0.54% | |
寺井宿 | 09:21:13 | 10.23km | -7m | ||
01:35:12 | 6.58km | 4.1km/h | ↑78m ↓68m | 0.15% | |
小松宿 | 11:13:51 | 16.81km | 12m | ||
02:19:19 | 9.98km | 4.2km/h | ↑574m ↓578m | -0.04% | |
月津宿 | 14:01:44 | 26.78km | 10m | ||
00:49:51 | 3.43km | 4.1km/h | ↑21m ↓20m | 0.03% | |
動橋宿 | 14:56:28 | 30.21km | 9m | ||
00:53:53 | 3.82km | 4.2km/h | ↑27m ↓32m | -0.13% | |
加賀温泉駅裏 | 15:51:25 | 34.03km | 16m | ||
00:06:26 | 0.37km | 2.4km/h | ↑0m ↓7m | -1.93% | |
GOAL | 16:11:23 | 34.40km | 10m |
2012/05/30 06:48:42
前日の終点から再スタートである
2012/05/30 08:13:36
材木の陸揚げちだったという木呂場(ころば)跡が公園になっていて、「芭蕉の渡し」の碑があった。そこを過ぎるとこの手取川橋を渡る
2012/05/30 08:28:59
手取川で川止があると、旅人はこの粟生のほか、小松、寺井、などに泊ったという
2012/05/30 09:14:24
大阪のrokuさん。今回は長浜から敦賀経由で7日目とのこと。できれば、青森まで行きたいとのことで、そのファイトにびっくり。全国を歩いておられる健脚の方だ。もっといろいろお話を伺いたかった。
2012/05/30 09:16:56
「あづまだち」の特徴を持つ家もある
2012/05/30 09:21:13
この南天橋の辺りに、問屋があったはずなのだが。
2012/05/30 10:43:03
2012/05/30 10:50:42
道路の拡幅があったようだが、伝統的な建物群が再建されたようだ。伝統的なデザインを取り込んだモダンな家もある
2012/05/30 11:13:51
本陣跡はこの辺りかと検討をつけていたが、地元の方に聞いてもわからず
2012/05/30 11:44:33
多太神社である。芭蕉が奥の細道で「むざんやな 甲のしたの きりぎりす」 と詠んだ多太神社。実盛着用の兜などを拝観したときの句である
<注意>ここから先の歩行記録はGPS不調で狂いがある。マップ上の青い線があらかじめ設定した予定ルートであるが、こちらのルートが正しい。実際にはこのルート通り歩いた
2012/05/30 13:05:53
近くに「遊女の墓」がある。遊女に化けて遊客を食い殺す、などいろいろな伝説がある茶屋街だったというが、今は想像ができない住宅地になっている。ここ串茶屋からは大聖寺藩の領地だった。
2012/05/30 13:57:11
めずらしく一里塚の碑が現れた
2012/05/30 14:01:44
この近くに問屋があったはずなのだが、案内も痕跡もない
2012/05/30 14:04:40
旅人が関所と間違えて開くのを待ったという
2012/05/30 14:24:41
麦畑のなかをJR北陸本線が行く
2012/05/30 14:42:43
押し寄せる軍勢の勢力読みとるために、道をくねらせたといわれる。
2012/05/30 14:56:28
ここも、宿場の中心を示す表示などがなかった
2012/05/30 14:59:23
2012/05/30 15:16:33
西行が都に戻るとき同行の西住と別れたのがこの辺りという
2012/05/30 15:51:25
旧北陸道は加賀温泉駅の裏を通る。駅の表側には地下道を通って簡単に行けるので助かった。ここがこの日の終点である。この後、山中温泉に移動する