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孫の目線
masutani masahiro
 初めての海外出張は羽田からだった。 見送りが、新婚の家内だけでなく、両親、親戚、職場の同僚や上司、友人など総出のさわぎで、万歳三唱に送られた。 まだまだ海外に出ることが当たり前になる前の昭和44年だった。 アンカレッジルートが開かれる前だったから、DC-8機はホノルル、サンフランシスコで給油しながらニューヨークへ向かうロングフライトであった。 深夜、ホノルルに着陸するときに見た、整然と列をなす住宅街の美しい灯火に驚き、日本の街の光の貧しさを痛感したものだった。 見るもの全てがものめずらしくて興奮したが、大陸横断では窓に顔をこすりつけてどこまでも続く平らな大地を飽きずに眺めていた。 掘ればどこからでも何かが出てきそうな豊かさと、国の大きさを実感した。
 その後、何度も海外に出張し、国内でも飛行機に乗ることが多くなった。 当時、着陸態勢に入ると飴が配られ、ソフトなムード音楽が流されたものだった。 そんな時、夕焼けが美しかったりすると、まるで天国にいるような、地上の喧騒がウソのような気持ちになるのであった。 また、徐々に高度を下げるとき雲海すれすれに飛んだりすると、スコッチの心地よい酔いも手伝って、窓のすぐ下の雲がスキー場に思え、蔵王の樹氷群を滑っているような錯覚を覚えるほどの美しさに見惚れる事も少なくなかった。 
 このようなときには、地上の世界は異次元となって想像することも難しい。 喧騒を忘れるだけでなく、そこに人が住み、生活があることも忘れてしまう。 ノラ・ゲイの乗組員も、特別の任務を負っていたが、同様に、ボタンを押すときに地上の現実が見えなかったに違いない。 快適な旅客機とは違うし、訓練されたプロであるから地上に起こるべきことは分かっていたはずだが、高空では少なくとも異次元ゆえに眼をつむることができたのであろう。 そうでなければボタンを押せるはずがない。
 
 中学生のとき、毎年夏休みには林間学校が開かれた。 学割をもらいに行った1年の夏休みの初日に学校の校庭で転がってきたサッカーボールを蹴り返しそこなってころび、骨折してしまった。 楽しみにしていた林間学校も参加できずに悔しい思いをしたが、2年生の夏に念願がかなって参加できた。 
 上野を夜行列車で出発すると、碓井峠は真夜中である。 開け放された窓すれすれにトンネルのレンガの壁がゆっくり走り、ところどころで横切る谷川の流れからの冷気が車内を気持ちよく冷やしたが、興奮で眠れないままだった。 軽井沢という心地よく、かつ別世界と思われる町もくらやみで見えない。 人気のないホームに下りてアブト式機関車を切り離す作業を見た。 小諸で下車して夜明けの懐古園から千曲川を見下ろしたり、小海線を途中下車して松原湖でボート遊んだりしたので、暗くなってから野辺山駅についた。 夜道を歩くと、ほの暗い街灯に懐かしさを覚える灰色の建物が散在している。 後で思い出してみると北海道の海岸に建つ、あの建物にそっくりだった。 開墾のために建てられた家々は同じような目的と環境のもとで同じような形で建てられたのかも知れない。 宿舎は信州大学野辺山農場であった。 薄暗い電灯の細長い建物で、2段式ベットを作りつけた部屋では、シミだらけのせんべい布団の冷たさに驚いたものだ。 
 翌朝、霧が立ち込めていた。 霧の匂いが高原を感じさせた。 まわりは草原である。 窓の外をすごい数の鳥が飛び交っている。 のぞいてみると宿舎の軒下に巣がぎっしり並んでいる。 イワツバメだという。 霧に向かって飛び、霧の中から飛び込んでくる。 霧が晴れると一面の花であった。 近くの小川で顔を洗ったりして念願の「高原」を味わった。 月見草(大待宵草)の群落をこのとき始めてみて高原の花と思い込んだが、後に帰化植物で鉄道沿線にはどこにでもあると知って残念に思ったものだ。
 2年と3年の夏の2回行ったこの野辺山で、記憶が混乱しているが、八ヶ岳の赤岳にも登った。 その帰りに猛烈な雷雨に見舞われてひざまで水に漬かって宿舎に戻ったこと、登山に行かなかった女子たちが我々の濡れた衣類を乾かしてくれたり洗濯してくれたりと、大活躍してくれたことなど新鮮な喜びであった 。それまで男女はお互いに敬遠して話を交わすことさえなかったから。

 その野辺山合宿の折に、駅で言えばとなりの清里までハイキングをしたことがある。 牧場を抜けて清泉寮のそばを通って清里に着いた。 帰りは、まだ駅の周辺には何もなかった頃の清里駅から小海線に乗った。 当時の小海線は蒸気機関車に引かれる混合列車、すなわち客車と貨車がいっしょに連結された編成で走っていた。 おおらかな時代だったのだろう、引率の先生と一緒に貨車に乗った。 屋根のない無蓋車である。 清里を出ると当時の国鉄の駅で日本一高いところにある野辺山駅よりも前に、鉄道で日本一高い標高を通る。 その最高点に向けて蒸気機関車は力強いドラフト音をひびかせてゆっくりゆっくり登る。 高原のさわやかな風をストレートに受けて心地よい。 沿線は美しい森である。 甲高いドラフトの音やゆっくりとしたリズムの車輪の音は無蓋車に乗る我々の耳に生な音として聞えてくるが、その中に小鳥の声や小川のせせらぎの間近な音が加わる。 特にカッコウの声は神々しいまでに響いて、高原の夏を楽しむ舞台としてこれ以上はないと実感したのであった。 
 このときの記憶は今でも鮮烈に残っている。 そういえば、汽車の窓からの景色は見るのにほど良い高さで、土の上に直接立っているときとは違う視野が開けてよい写真が撮れる、という写真家の話を聞いたことがある。 だから、プロの写真家は脚立を持ち歩き、やや高いところから写すことが多いのだという。 無蓋貨車からの景色は、目線の高さからみて最高だったのだ。 それに、見る高さだけでなく、レールに刻まれるリズムと鳥の声や水の流れの室内楽的な音の調和の見事さが、見るのにほど良い高さと重なって自分の心にしっかりと埋め込まれたに違いない。
 海ノ口牧場や飯盛山など野辺山周辺の高原を歩き回ったとき、一面の花のなかに埋もれてみたいと思い、腹ばいになってみた。 遠目には見えなかった小さな花がいろいろ咲いていたし、息苦しくなるような土の匂いも知った。 もちろんそこには昆虫の世界もあったはずであるが当時、その部分には興味を持っていなかった。

 時は変わり、孫を持った。 孫娘と散歩することがこの上なく楽しいこのごろである。 孫から、「おじいちゃんお散歩に行こうよ」、と誘ってくれる。 手をつないで公園に行く途中、何もかもが珍しい様子の孫から質問攻めにあう。 ご近所の庭の花やなっているみかんや柿。 すずめ、カラス、メジロなどの鳥や犬猫。 道に落ちている枯葉、塀を這っている虫、うっかりすると軒先に干されている洗濯物にまで関心を示す。 あれなーに?、と聞かれて指差す方向を見るには、しゃがんで孫と同じ目の高さになるのが便利だし、孫との会話も同じ高さの方が気持ちが通じ合うような気がするから、慣れない姿勢をとる。 そんなとき、見慣れた景色がいつもと違って見える。 お隣りさんの生垣も、そして話しかけてくれるお店のおばさんも、見上げてみるといつもと違うのである。 先ず気がつくのはみんな大きいことである。 そして、空が遠いことである。 月や星を眺めるのは大変だ。 もっともこれは住宅のたて混む街で、堅い身体の慣れない姿勢から空を見上げることが難しいからだが。

 研究開発をしていたとき、自分のアイディアや社会ニーズのつかみ方が正しいか、自分の見る目が間違っていないかチェックすることをできるだけ心がけた。 研究所の後輩たちにもいつもそんなことを話していた。 そのチェックの方法はいくらでもあるが、基本は人と話をすることにある。 しかし、人と話をするときに、その人の視点が自分と同じであることは、まず絶対にないといえる。 多くの論議や主張は、だからかみ合わないのである。 しかも、視点は人によって変わるだけではない。 他人も自分も視点は一瞬、一瞬変わるのである。 世の中の現象を見るときにも、同じ現象を見るとしても、どの視点、すなわちどの高さや角度から見るのかによって捉える姿はまったく違って見えるのである。  広い視野を持つこと、これが重要である。 しかし、広い視野を持つということは、多面的な知識を持つということだけではない。 むしろ、自分の知識や経験を総動員したうえで、ものを、そのときに必要とする視点で見ることができるかどうかである。 自分の見る目の角度や高さを意識して、自由に変えられるフレキシビリティが人間には非常に重要なのである。 あるときは地球的、宇宙的視点で、またあるときには孫の目の高さで。

 試みとして考えた。 「目の高さ」を分類してみる。 念のために繰り返すと、それぞれの高さでしか見えない世界、逆に、それぞれの高さでは見えない世界があるから、我々は常に同じ高さだけからものを見てはいけない、という意味においての分類である。 

地面から離れている順に。(「質の高さ」との誤解されないよう、「高い順」という表現は避けて) 

@航空機や人工衛星の目の高さを「飛行機の目」とする。 現代風に「超高層の目」と言っても良いかもしれない。 この高さからは、地球規模のスケールで物事を見たり考えたりできるが、生々しい人間の生き様や植物や動物の営みは見えてこない。 

A家の2階からビルの9階程度までの高さ程度を「鳥の目」としよう。 日本の政治の視点は大体この高さであろう。 より本質的な見方をするには見える範囲が小さいし、人間ひとりひとりの姿も遠くて見えにくいが、概ねバランスのとれた見方が出来る。 この高さからものを見るときには、ワイドレンズや望遠レンズをそなえて置くべきである、というべきか。

B通常の目の高さは「アダルトの目」である。 個人の視点としてきわめて基本的であるが、世直しや改革を行くためには、ここだけに留まった見方や考え方では不可能だし、迫力を持たない。

C最後が「孫の目」の高さである。 本来は自然の目、科学の目であろう。 人や自然を作っている原点にアプローチする目である。その意味で虫眼鏡も必要であろう。 

 最近の世の中で、「飛行機の目」や「鳥の目」で方向付けをしなければならない課題に直面することが多い。 本人がこの高さで見ているつもりであっても、実は「アダルトの目」や「孫の目」の見方に留まっている、ということは良くあることである。 「飛行機の目」や「鳥の目」の高さでものを見て考え、かつ、「アダルトの目」や「孫の目」に自由に行ったり来たりして視点を変えてみることが重要であり、 それが出来る人が優れたリーダーとなりうる人物といえよう。 また、「孫の目」の見方で見て考える人、科学者も、実は同時に「飛行機の目」や「鳥の目」の高さから見ることのできる人でなければ大きな成果が得られないことは言うまでもない。 しかし、わが国ではそうでない人が圧倒的に多いように思う。

 世界情勢の動きや、地球環境に関する議論などを見ていて、 あの国のあの人は「鳥の目」でしか世界を見ていないし、・・・・・などとイライラすることの多い昨今である。
                                                        2003-1-5  masutani  masahiro
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