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シベリア上空 満月 夕焼け & 朝焼け
 ボヘミアの空は、南のオーストリア、西のフランスやドイツの空と変わるところはなかった。 ゴッホが若いときに描いた雲、シスレーの川の上に広がる雲。 ヨーロッパに来ると、絵と同じ雲だと、いつも思う。 さほど大きくない塊が、折り重なりながら、刻々形を変えて、流れてゆく。 イギリスの空は違うというが、そう違わないように思う。 次々に流れて行く雲の行方を眺めていると、感慨を覚える。 いまや、国境の線は細くなり、雲のように、人も物も、容易に越えられるようになったのだ、と。

 ボヘミアの貴族、クーデンホーフ・カレルギー伯爵夫人(青山)ミツコの次男、リヒャルト・ニコラウス・フォン・クーデンホーフ・カレルギーによる「汎ヨーロッパ論」が、大きなインパクトを与えて、EU設立の基本理念となったと聞いた。 氏の故郷であるチェコも昨年2004年5月にEUに加盟した。 旧社会主義体制の国々までも、次々にEUに加盟する様子を見て、新しい、平和な時代が本当に来たのだ、と実感する。
 しかし、思えば、古代ローマ帝国や、後の神聖ローマ帝国を経てきたヨーロッパである。 神聖ローマ帝国のころは、貴族、領主たちがもっぱら自分のために、激しく繰り返した勢力争いの時代であっただろうが、本来は、地域の独自性を前提に、共通の利益と安定、そして平和の確保のための共同体をめざすことが、少なくとも表向きの目標であったはずある。 古代ローマ帝国の繁栄期には、それが実現していたといい、神聖ローマ帝国は、そうしたローマ帝国を再現することが願いだったらしい。 新しいEUの根底を流れる精神は、こうした2000年以上の時代の流れの間に熟成されてきたものではないか。 今、「支配者」と「被支配者」の関係、「搾取する側」と「される側」の関係ではなくなったことが、昔との、画期的で、決定的な違いであろうが。

 ボヘミアへの別れはプラハからウイーンに戻るプロペラ機からだった。 DHC-8(-400)で2000年に運用が始まったボンヴァルディア社(旧、デハビランド・カナダ社)製の新型機である
(上左の写真)。 窓から、プラハが赤瓦の町であることを改めて確認できた。(上の中央の写真をクリックすると、上空からのプラハの町が拡大されます。カレル橋やプラハ城がかろうじて見えます) そして、ボヘミアとモラヴィアの田園風景を目に焼き付けた。 

 ウイーンから東京への帰国はちょうど、夏至の日にあたった。 しばらく飛ぶと、左側の窓越しに陽が沈む。 その後、落日からかなり時間が経っても残照が消える気配がない。 やがて深夜とおぼしき時刻になると、シベリア上空である。 南側である右窓から満月が見える。 地上には、明かりがポツリポツリと、数個見えるだけである(上右の写真、翼先端部にあるのが月、下の方にある小さな光がシベリアの明かり)。 月の光を受けた雲とともに、なかなか幻想的な景色である。 左側、すなわち北側には、まだ、残照がある。 眠れぬままに、観察を続ける。 すると、残照が、そのまま朝焼けに変わってくるではないか。 どうやら、コースは北極からはかなり離れているが、白夜かそれに近い状態の中を飛んでいるようである。 月と同時に、夕日と朝日をわずかな時間帯の中で見ていることになる。 地球が小さく感じられる景色である。
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