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田園風景
 
 
  行けども行けども牧場と牧草地が続く。菜の花が一面に広がるところも多い。ベルギー、ルクセンブルグへと走っても同様である。今回の行程で畑作地として使っているところを見たのは、ほんのわずかである。不思議である。「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」といわれるように、国土の4分の1は干拓によって生まれたと聞いている。それほど大切な土地を、牧場や牧草地として使うのはもったいないのではないかと思うのである。オランダの農業生産は全産業のうちの4%以下と少ないのは、これほど広大な土地を牧草地として使っているからでは
ないかとも感じた。あるいは、畜産とはそれほど付加価値の大きな産業なのか。調べてみると農地は国土面積の57%であり、その3分の2が牧草地であるという。酪農大国そのものである。必ずしも肥沃な土地ではないところが多いというから、それが牧草地が多い理由と関係があるのかもしれない。農地の残り3分の1が耕地であるが、南部から北部に至る干拓地(ポルダー)一帯に豊かな農業地帯が広がっているらしい。だから、球根生産のキューケンホフ一帯や、保存鉄道に乗ったメデンブリック〜ホールン一帯などを除いて今回通ったルートは畑作地帯から外れていたらしい。ついでに調べてみると、日本の農業生産は全産業の1.13%、農業の就労人口は3.7%と、昔とはまるで違って小さくなっていたのに驚いた。それに比べればオランダの農業の4%は充分に大きいようだ。他の欧州各国に比べてオランダの農業は小・中規模の労働集約型だが、戦後の政策によって経営の集約化、機械化が進み生産性は高いという。肥沃ではない土地で創意と工夫によって築いたというから、まさにオランダの国民性「豊かな現実感覚、素朴、几帳面、計画性、商業的な打算としたたかさ」の成果なのだろう。

 運河が縦横に走り、風車が水を汲み上げて海面以下の土地を守っている様子が随所に見られたが、驚いたのは、畑の真ん中を船が走っていることであった。遠くからは水路が見えず、船だけが見えるからである。


 今回、32kmの締切大堤防を渡った。もともとのゾイデル海を仕切って淡水のアイセル湖に変え、湖面の標高をマイナス6メートルに下げて膨大な干拓地を作ったのが1932年というから驚きである。この湖の面積1250平方キロは東京湾(狭義の観音崎・富津岬までで922平方キロ、広義の剣崎・洲崎までで1320平方キロ)に匹敵する。右下はその大堤防の写真で、右がアイセル湖、左が北海である。なんとなく、右の方が低く見えるが、気のせいか。

 入国前、スキポール空港に着陸するために高度を落とした飛行機の窓から見ると、オランダはまるで洪水にあったのではないかと思うほど、水に囲まれていた。アムステルダムなどの町も、運河や港は淡水であり、海からは運河の途中にあるロック(閘門)で水位を調節して船を上げ下げしている。農地では、水を汲み出す役割は風車から電動ポンプに変わったこともあって、今では悲壮感はないのだろうが、水のコントロールが国にとって最大の仕事であることには違いなさそうである。地球の温暖化防止対策に熱心な事情がよく理解できる。

  
   
 キューケンホフ公園一帯はチューリップや水仙の球根の大産地である  
 
 
 
 
 
   
    
   
   
 
オランダの最高地点は322メートルだから我々の裏山程度だが、ベルギーでは694メートル、ルクセンブルグは560メートルとなると道路も「山地」を走る雰囲気となる。 
 
 
 
 
 
 
 オランダには原生林はないと聞いた。すべての森は植林したという。本当に原生林がないかどうかは別として、広大な美しい森はある。しかも、1年のうちでこの1週間だけといわれるほど美しい新緑の季節に訪れることができた。
 
 
   
 
   
 
ヒートホールン 
 
   
 
 
 キンデルダイクに残る風車群
 
 
 
ザーンセ・スカンス
 
 オランダ メルデンブリック、ホールン間のミニ蒸気列車からはのどかな農村風景、花畑が楽しめる
 
  
 
   
 
   
   
 
 ベルギー南部のアンヌボワ城、モダーヴ城は起伏のある地域にあった
 
 
   
 
ジェンヴァルの小さな湖 10数年前に、天皇皇后両陛下が泊られた湖畔のホテルに一泊した 
 
 湖の対岸
 
   
  
   
 
スキポール空港に戻る途中  旅の最後の一枚
 

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